徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

カラオケで騒ぐのはストレスを抱えているからなのか

カラオケが好きだ。特に絶賛されるような歌声の持ち主ではない。しかし教育番組に夢中になっていた時分から音楽に乗って体を動かす行為が好きであった。その延長線上に今もいて、人の歌も自分の歌も気分が乗ってきたら全力でタンバリンを叩いて体を動かす。

夜更けにダンスにもならない不規則な飛び跳ねを披露しながら歌い踊っていると、必ずと言っていいほどストレスを抱えているのかと尋ねられる。最近辛いことあった?大丈夫?

大抵大丈夫です。

カラオケがストレスのはけ口になりやすい事象なのはよくわかる。わかりやすい発散をもたらしてくれている。問題の根本は全く解決しないものとして、とりあえず訳もなく気持ちよくなれるツールではある。しかし、僕自身の見解としてはストレスがない方が余程カラオケは楽しい。アホになりたいから踊っているのではない。そもそもアホでだから踊っているのである。ストレスは阻害要因でしかなく、ノーストレスでカラオケに行った時の方が臆面も気兼ねもなくアホになれる。ちなみに同席している人は選ばない。大抵の分別のある方々たちは大して知らない曲でも全力でタンバリン叩きながら狂喜乱舞歌唱する青年を見ると笑ってくれる。きちっとやりきることが何より重要である。きちっとアホになるのである。いや、否。そもそもアホであるから、ありのままを受け入れてもらうだけでいい。ただそこに不安が過ってもみろ。裸芸にベールが巻かれるようなものだ。裸だから面白かったのに、面白くなくなる。アホだから面白かったのに、アホじゃなれなくなる。鬱々を吹き飛ばすためのアホではない。鬱々はアホに覆いかぶさり十全にアホをやり解けなくさせる。迷惑千万。

だからどちらかというとストレスを酒で吹き飛ばしてからストレスの忘れた状態でカラオケに行くのが一番いい。前後不覚の状態こそ、精神的な裸に近い。元気にタンバリンを叩き、みんなに笑ってもらう。それでいい。ありのままの僕を笑ってください。

以上