徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ピーターポール&マリーを改めて聴いてみて

月末と期初だというのにお休みをいただいている。連休である。日頃積もった諸事を片付けている一環に免許の更新があった。

視力測って写真撮って、初回のため2時間の講習を受けて帰って来た。講習は初老のおじちゃんが鼻詰まりしたようなズーズー弁で交通事故の悲惨さを滔々と語ってくださった。道交法の変更点も教えてくれた。勉強になった。

講習の最後、おじちゃんはさだまさしの「償い」という歌を流した。交通事故で人を殺めてしまった男の実話を歌にしたものだという。さだまさしの澄んだ歌声で朴訥と紡がれる物語は迫真そのもので恐怖を覚えた。事実のみを淡々と挙げ列ねて心を揺さぶる歌を歌わせたらさだまさしの右に出る者はいないだろう。そんな歌を聴きながら、なぜだかどうしてもピーターポール&マリーが聴きたくなった。

ピーターポール&マリーとの出会いは古い。レモンツリーという曲がその昔教育番組で流れており、お気に入りだった。それで買ったのかわからないが、うちにはピーターポール&マリーのアルバムが置いてあり、何かにつけて流していた。

改めて今流しっぱなしにしているピーターポール&マリーは、心地よさそのものだ。メロディがとにかくいい。どうやら彼らが書いた曲よりもカバーソングの方が多いらしいのだがこの際どうでもいい。メロディがいい。でも彼らのヒットソングの多くは反戦歌で、美メロに包まれた悲しみが滲み出している。

「悲惨な戦争」が一番有名か。直球極まりないタイトル。綺麗なハーモニー。綺麗すぎて、有名すぎて、美しさよりも悲しい。ジョニーだけは戦争に行って欲しくない。「花はどこへいった」も強烈にメロディがいい。そして悲しい。全部どこかへいってしまう。花は摘まれ、男は戦場に行き、戦士は墓に行き、摘まれた花が墓を覆う。戦争のせいで。

何かと戦争についての議論がよく聞かれる。ここのところ特に。アメリカと北朝鮮が喧嘩しそうだとか、傍らにはロシアと中国がさもありなん風に脇目で見ているとか、国際情勢はざわざわ森に突入しているようである。敗戦国として、唯一の被爆国として、北朝鮮の隣国として、戦争はだめ!と頑なに拒む姿勢を取っているらしい日本ではあるものの、引きで見ているとその怖さも辛さもわかったもんじゃない。将軍様まじやばい怖いのはそうなんだけど、引火してくる恐怖や辛さがリアルじゃない。戦争の恐怖よりも小指の角をタンスにぶつける恐怖の方が余程リアルなのが平成。

ピーターポール&マリーを聞くと恐怖が如実に伝わってくる。綺麗なハーモニーと美メロという最高の体裁を保ったまま恐怖と悲しみがダイレクトアタックを仕掛けてくる。それはジョンレノンが歌うような概念的話ではなく、ただ一人の人が経験したたった一つの物語。それがとにかくリアルで、苦しい。さだまさしを聴いた時にピーターポール&マリーを思ったのはさだまさしも誰でもない一人の物語を歌うからだろう。身の丈の恐怖と身の丈の悲しさに心を打たれる。

こんな文を書いているうちにYoutubeで流れていたピーターポール&マリーはビリージョエルへと変わった。シェアスタジアムでピアノマンを歌っている。十中八九のメッツファン達が大声でピアノマンを合唱している。ピーターポール&マリーが望んだ小さな幸せが集まっているのだろう。誰も戦場を知らないままである種呑気に楽しくピアノマンを歌える世の中が続かなきゃならない。ジョニーが戦争に行く必要がない世の中を。

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