徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

尋ねられないと考えない

会社で主任に進級させてくれるというので、お言葉に甘えて進級したいと手を挙げた。するともれなくレポートの提出と面接がくっついてきた。

日頃どんなこと考えて仕事してんの?君はこれからどう袖を振って商売して行きたいの?ねえ、どうなの?

なんとなく日頃考えているつもりで働いてきた。久々に「なんで?どうして?」と自らを深掘りされてみると、いよいよ物事を考えなければいけなくなった。やっぱり日頃大して考えてなかった。

黙ったまま胸筋を動かせる人がどれだけいるだろうか。そう多くはないだろう。でも、ちょっと胸を押してあげると、途端に動かしやすくなる。くいくい動く。何が言いたいかといえば、抵抗がないと動かないよねということだ。押されて初めて押し返せる。

尋ねられて初めて考えるのだ。訊かれなきゃ考えないことだらけ。知らないことだらけ。

小学生の頃ちょっとした村八分をくらい、図書室の伝記を読みまくってた時期があった。ハーシェルという天文学者の伝記が好きだった。宇宙の大きさや銀河の形の第一人者だったはずだ。彼は真性のなぜなに人間だった。幼い頃、目でモノを見ていることを突き止めて大騒ぎした逸話をよく覚えている。いや、そんなの当たり前じゃんって思うことに何故を突きつけられる力。抵抗が、向かい風がない中を飛んでいける力。それこそ尊い。

ものの見事になぜなに人間じゃない人生を生きている。尋ねられないと考えない。逆に、尋ねられれば考える。自問自答の果てを打ち明け、どうとかこうとか言ってくれる熱い友人が欲しいかもしれない。残念ながら今の環境からして、なかなか機会は得られなさそうである。まず、自問自答をきちっと行うことから始めたい。これを契機に。