徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

中年体型への恐怖

何故そうまでに美しく腹だけ出るか。中年よ。ベルトの上に生々しく乗っかった贅肉がパノラマになる電車内。はち切れんばかりにボタンが両サイドから引っ張られている。ボタンとボタンとの間が植物の気孔のごとく空いている。

贅肉、なのだろうか。彼らは贅沢をしているのだろうか。贅によってついた肉にしては、どうも幸の薄そうな尊顔である。右手に持ったスマホを虚ろに眺めながらせっせと親指を動かしている。贅がその中に詰まっているのであれば、もう少しにこやかな顔をしていてもいい。

ふと、気がついた。彼と、僕とを隔てるものは何か。それは腹が出ているか出ていないか、贅肉が多いか少ないかに過ぎない。両者ともスマホを虚ろに眺めながらせっせと親指を動かしている。ただ、彼は腹が出ている。僕はまだ、腹が出ていない。

ぽっちゃり体型が適応される年齢を過ぎたぽっちゃり。でっぷり。ぶっくり。その形に僕は恐怖を覚える。本当に贅を尽くした果ての姿ならいい。しかし、違う。大抵は違う。運動不足と人付き合いの合いの子である。

何故中年体型が広く受け入れられないか、すらっとした中年に憧れるのか、この辺りはわからない。多分中年体型が好きだという層は少ない。そういう前提のもと話すがしかし、なんとか蓄えずにいたい。カロリーと肉の自転車操業をしていたい。

ここのところ2年くらいの不摂生で、僕もアスリートではなくなった。脇腹がつまめる代物となった。筋肉じゃない理由で胸が大きくなった。太りやすいわけでも、太らないわけでもない、飲食の分だけ素直に太るタチである。自分の乗っているレール上になんとなく中年体型がチラつき出した。そこから、出た腹への恐怖が止まらない。

そういうわけで、走り出しました。いつまで続くか。肉が取れるか。

気休め程度になればいいと思う。