徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

同郷コン 〜シーシャバーでシーシャも飲まんと二酸化炭素を吐き出した夜長〜

そんなようなことをしてきた。

シーシャバーで同郷の人たちと今の仕事を踏まえてみた故郷を話してきた。
 
同窓の先輩がゴリゴリと開拓していった轍を後ろからトボトボ通って辿り着いたが水道橋の駅のホーム。見渡す限りの酔っ払い。酔っ払いのことを避けて通る酔っ払い。それを白い目で見る酔っ払い。
 
僕はレジのことをお勘定場って呼ぶ文化圏で仕事をしている。しかし、シーシャを吸う大義のもと集まった青年たちは結構カタカナを振り回して戦う文化圏で生きていたため、足りない頭を振り絞るのに苦心した。
火を見るより明らかなのは、これからの世の中を泳ぐためにはデジタルとかその界隈の知識が必要なことである。三歩歩いた後の鳥でもわかる。わかってはいるものの、お勘定場人間は知識が必要なことから先がわからない
 
何ができるのか。どう動いているのか。
デジタルマーケティングやデザインの世界でとにかく使われる言葉は「伝える」だった。少なくとも、デジタルは「伝える」ことはできる。さらに、得意らしい。
 
確かに、伝えなければ話にならない。
 
例えば野良猫が吉村作治ばりにエジプト文明の真理を悟っていても、奴らは猫語しか喋らないんでわからない。伝えられない。
しかし、グーグルやフェイスブック連中が生み出したネット広告のシステムによれば、猫語を解読した上でエジプト文明の真理を知りたがっている人々に対して猫が悟った真理を「伝える」ことができるらしい。コスト的にも猫の餌一食分程度のものだという。めっちゃ安い。
 
これは流石にすごい。結局、「名もなき●●」の情報が「●●」自体が好きな人たちに伝えられるという話である。格安で。
 
伝えられることを知った猫はめっちゃおいしい。伝えるサービスを使ってエジプト文明を知りたい集団にエジプト文明の真理を伝えられる。しかし、世の中そんな猫ばかりじゃない。伝えられることを知らない猫もいる。さらにその猫はメソポタミア文明の謎を解き明かしているらしい。じゃあ、「伝える」連中はどうするかというと、伝えられない猫に自分たちが「伝えられる」ことを「伝える」。
つまり、双方向に伝え続ける必要に迫られる。
 
けど、世の中猫語だけで回っているわけじゃなく、鹿語でインダス文明の秘密に迫った鹿もいるだろうし、ウサギ語で中国4000年の歴史を紐解いたウサギもいる。そしてどんなニッチな業界でも、掘りまくっていけばインダスや中国の歴史に恋い焦がれている人がいる。
知っている者、知っていることを知られていない者、知っている者がいることを知らない者。それぞれを繋げることが「伝える」活動であり、伝えたいから皆アドセンスに夢をみる。
 
ぶっちゃけこう書いていると、どんな営業もそんなもんだよなと思う。メーカーを探して、販路を開拓する。双方向への営業活動である。ただ、デジタルのマーケティングはどうやらその精度が高いようだし、検証もしやすいようで、より仕事してる感と世の中動いている感が得られるのだろう。実際話を聞いててめっちゃ魅力的だった。
一方で、広告界も飽和していてメガ企業たちが既存のパイを食い合い出しているらしい。そこで我々同郷の連中が郷土の何某に伝えられることを伝えられれば一つの掘り起こしになんじゃないのと、中小企業スピリッツに若干の火がついたところでお開きになった会であった。
 
まぁなんだ、劇的にこれから物語が動いていくとかそういうのは別にして、安穏とお勘定をしているような我が業界には中々いないタイプの方々に出会えたことが一つの収穫だと思うし、それこそグラウンドの砂を数えていたような凝り固まった頭がイスカンダルの彼方に飛んでいったような清々しさを覚えているので、なんだ、本当に良かったと思う。
よくぞ場を取り持ってくれた先輩にはまぁ身近な功労者として感謝申し上げると共に、関係各所の皆様にも渾身の謝辞をお伝えしたいと思う。
お伝え。