徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

もうちょっと寝る

今日はお休みだからもうちょっと寝る。

これができない人間だった。酒に酔っているわけでもない朝、一度起きたらおいそれともう一度寝られないタイプの人間だった。ここで起きたが百年目。いそいそと弁当を作るなり、休みだったら起きだして飯食って掃除しだすなり、そういう人間だった。

過日、友人の怠惰な一日を聞いた。

8時起床、もうちょっと寝られるな、14時。勿体無いことしたな。ソファに座る。まどろむ。16時。出かけたいけど外は雨、ぼんやりする。20時。ご飯食べる。21時。テレビ見る。24時。寝る。

疲れてたんでしょう。多忙な毎日ですものね。同情を禁じ得ないほどに寝てしかいない一日を目の当たりにして、なるほど人とはここまで寝られるものなのかと知った。さらに友人自身、勿体無いことをしたと思いながらも、ちょっと身長が伸びたとイタく満足げであった。

 

一度寝てみよう。がっつり二度寝をしてみよう。興味が湧いた。

そういうわけで、寝てみた。本日休日。最初の起床はいつも通り6時。さあ、起きるか、どうするか。僕は心を鬼にして再び眼を瞑った。7時。ここが分水嶺である。起きてしまえばいつもの僕である。やはり、常に新しい地平を切り開かねばならない。未踏の地に踏み出していかねばならない。7時に起きて、なんとなく瞼の上がモヤモヤした休日を過ごす。それは日々過ごしてきた休日である。気合い入れて寝て、どこまですっきりするのか。戦うべきであった。戦わなければならなかった。

次に起きた時、9時50分であった。ほぼ10時。

十分であった。普段であればバキバキに動き散らかしている時間。なんなら買い出しすらも済んでいる時間にのこのこと起きた。勿体無いことしたなと思った。しかし、一度目を覚まして見ると普段との瞼の軽さに驚いた。

初めてメガネをかけて学校へ行った時の感覚に近いかもしれない。

あまりメガネをかけたくなくって、必死こいて眼を凝らしまくった視力検査。なんならランドルト環の空いている方を記憶してまで視力を保ったふりをしていたが、遺伝には抗えず、小学四年生にてついにメガネ族の仲間入りを果たした。

黒板ってこんなにみやすいのか。あの衝撃は忘れ得ぬものである。

 

今朝の衝撃も同値だった。瞼ってこんなに軽いのか。スッキリするものなのか。

僕は常日頃、「短時間睡眠はスリープモード、長時間睡眠は再起動説」を唱えている。短時間睡眠であれば立ち上がりは早いが、ずっとゴリ押すと動作が鈍ってくる。たまに再起動をすると立ち上がりは遅いが、動作にキレが戻る。

此度、再起動に近い睡眠を貪ったが、割とスッキリ起きられた。何かが功を奏したに違いない。

寝てみて、10時ごろ起きたわけだが、割とまだ寝られるなと感じた。若いからいつまでも寝られるでしょうと諸先輩がたに言われてもなかなか実感できずにいたこれまでだが、いつまででも寝られそうである。

穏やかな休日が始まりました。