徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

北海道での日々

ここまで四日間過ごしている。毎日欠かさず届くお仕事の連絡にうつつを感じながら夢のような日々である。

本州諸君、ぬくぬくと中秋の名月を眺めて風流をついばんでいるのだろう。せせこましい日常の中で、たまには月を眺めるもいいではないか。

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

藤原道長でしたっけ。満月のような月をみるとこの句が思い浮かぶ。軋みながら、壊れながら、なんとかかんとか回っている歯車マンからは考えられない傲慢さを風流にぶつけた道長の力量たるや。

 

当方、たかだか多少緯度が高くなっただけの北海道は北見。

ちょっとびっくりするくらいに寒いです。月が綺麗だナってぼんやり空を眺めている間に、垂れ流されていくは体温。指の先、首回りからじわじわと染み出ていく。サーモグラフィにしたら指先とかが黒々となって見えなくなっているに違いない。

 

いい季節に帰るね~って同僚の方々に送り出されてきた。いい季節とはなにを指していたのだろう。紅葉が綺麗なことだろうか。涼しいということだろうか。

もし、涼しさに言及していたとしたら、それは違う。飲んで帰る深夜の気温が2度になるこの季節を、涼しいといえるか。18年間住んだ土地であるがしかし、やはり厳しい土地。四六時中、試されている。

試されたなら、立ち向かわなければならない。

二重サッシをもってしても防ぎきれない冷気が流れ込む実家。名月を眺めずとも奪われていく体温。とかく体温は逃がさないようにするものであるが、言語道断。逃げの姿勢というものだ。試されているのである。勇敢に立ち向かわずにどうする。生み出す。

体温を、生み出す。

いま、実家のデスクトップで執筆している。インターネットエクスプローラーのタブは二つ開いている。一つはブログ、一つは、YouTube。流れているのは、残酷な天使のテーゼ。

そして僕は座ってはいない。

立ち上がって、往年の小室哲哉がキーボードを弾くかの如くタイピングをしている。残酷な天使のテーゼにノリノリになりながら両手に渾身の力を込めている。

めっちゃポカポカしてきている。

 

3代前くらいの昔、北海道を切り拓いた賢人たちがいた。彼らは攻めた。不毛な寒いだけの大地に根を下ろして根性で街を作った。文化を作った。その子孫が毛布にくるまってぬくぬくしていいはずがあるか。

攻める。動く。生み出す。

逃げていく熱は見送り、また新たな熱を作る。去る者は追わず来る者は拒まず。自転車操業と侮るなかれ、熱が生み出されるだけでなく、なんとなくスッキリする。大して降り積もっていないストレスの類が一掃されている気がする。

 

後、3日。

寒がりながら、温まりながら、精一杯楽しみたいと思います。