誰しもが抱える不安やネガティブ。それらに割と振り回されやすいタチである。こいつは実に厄介な性質を持って生まれてしまった。
この記事にあるようなぶっ壊れ現象は不安の類が決壊した時に現れる。最近こそ相当にコントロールできるようになったが、心の中を不安が満たすとマジで何にも手につかなくなる。胸騒ぎで胸騒ぎの腰つきすらも目に入らない。
マックス不安の波が襲った際は、どこまでも果てしなく沈みきって、あらゆる最悪に降り注がれ、もうダメじゃん、社会復帰できないじゃんみたいな絶望の淵にまでたどり着く。
時を同じくして、いや待て何考えてるんでしょう…って冷静に省みる。そんなに悪くないぞ、現状はそんなに悪くない。言い聞かせてなんとか体を動かして日常を送る。不安のダムが歩いているような状態。
例えばそこに何かポジティブな要素が入り込んできたとしよう。不安を多少軽減させるような何かを知ったとしよう。
するとびっくりするくらいやる気と全能感に満ちてくる。なんでもこい、どんとこいの精神である。こうなった時の自分は割と動く。
不安からの一発逆転現象を自力で作り出そうと懸命なのが最近だ。なんというか、不安に満ち満ちた生活を送りがちである。自分で蒔いた種であったり、人が蒔いた種が禍々しい植物となって僕の体を蝕んでいたり、場合は色々なのだけれども、どちらにしろ、スタート地点は不安だ。どうやって躁に持って行くか勝負となる。
解決方法なんてあってないようなもので、気合いぶっ込んで突っ込んでいく他はない。突っ込んだ先にちょっとポジティブな要素があることを祈って。突っ込んだ先の泥沼が実は舗装されていたなんてラッキーを祈って。
でも、大抵、泥沼。って思ってた方が心は楽なのだ。不安人間からするとそうなのだ。
そういうわけで、日々泥沼を見積もり、かき分けながら進む。
冬のどろんこはとことん冷たい。