徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

退廃的な生活への羨望

最近、ある人の依頼で真剣に曲を作ることとなり、後輩にたまたま曲のアレンジとコンポーズをできる人が入ってきたこともあって、協業体制を敷いている。

彼は大学生活を音楽制作に捧げ、いくつもの曲を作ってきたと言う。作品を聴いてみたところ、それはそれはきちんとした曲だった。編曲をしっかりしているのがよくわかった。

 

本日、彼の学生時代の作業場にお邪魔し、本格的に曲作りをしてきた。

その作業場の、退廃的なことといったらなかった。というか、なんだろう、大学生というのは退廃的であるべき生物なのだろうか。数人の学生とコンタクトを取ったが、全て、退廃的であった。作業場兼部室の、退廃的な空間に宿る学生も皆、退廃的であって、タバコと酒と趣味と留年と夜更かしで構成されていた。

 

僕は、幸か不幸か退廃とは縁のない学生生活を送った。当たり前のように毎日部活をし、当たり前のように早寝早起きで、当たり前のように酒を飲むことは少なかった。

思うように結果が出なかったこともあって酷くデリケートになっていたところもある。もっと自由な学生生活であっても良かった気はする。

 

この度、退廃を体現している学生達と出会った訳であるが、恥ずかしながらも強い憧れを覚えた。

講義とバイト。空いた時間はサークル。居心地のいい連中と日がな一日を潰す。暇ができれば酒を飲む。

あぁ、これが学生か。

一般に、体育会系の学生は少なく、大学まで部活をしていたと言うとよくやったねと評される。確かに、全力でやりきった日々だった。何にも変えがたい日々だった。

だけど、やはり考える。

何でもない普通の学生生活。おびただしい数の大学生が経験しているはずの、バイトとサークルと講義と酒とタバコと趣味に耽溺する日々。

 

多分持て余していただろう。

なんとなく続いていく4年間に虚しさを感じていたかもしれない。しかし、その虚しさすらも学生の一部であるかのような、完成された退廃を彼ら彼女らは生きていた。

 

飽きるまで退廃してみたい気分になった、個人的な休日であった。