徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

晩秋

終わりの始まりという言葉が似合う月が始まった。

 

日本流の一年間にはふたつの終わりがある。12月と、3月。一年の終わりと、年度の終わり。どちらも区切りだ。なんで至近距離でふたつも終わりがあるのかと、小さな頃不思議に感じたものだ。

 

ひとつの終わりへ向かう滑走路の端。11月。

ハロウィンが文化として根付いて久しいが、終わった途端に世間はクリスマスまでまっしぐらに進む。京急のエアポート急行の如く、数多ある駅をすっ飛ばしてクリスマスにたどり着き、お正月へと押し出される。このときのクリスマスとお正月の関係は、羽田の国際線ターミナル駅と国内線ターミナル駅の関係に近い。

 

一番好きな季節は?と聞かれたときは、秋が好きだと答えている。

どの季節も嫌いじゃない。かといって特別好きな季節があるわけでもない。だから本当のところどの季節だっていいのだけれど、生まれた月が9月なので、なんとなく秋がいいかなと、その程度だ。

花粉にも気付くことなく、適当に紅葉を愛でて、日が短くなるのを憂う。幸せなものである。

 

秋と十把一絡げに言うが、秋も初秋、中秋、晩秋と分けたとする。

春夏秋冬の中では好みに大差はないと話した。だが、初秋、中秋、晩秋だと、好みが出てくる。

 

晩秋を一番好まない。

晩秋の変化はめまぐるしい。めまぐるしいクセして、のっぺりしている。暦と季節の滑走路を猛スピードで冬に向かう道すがらを特段楽しまさせてくれるわけでもなく、あっという間に冬。スプレーしたような薄い雲が、季節が進んだ後の残像だろう。

冬は冬で嫌いではないけど、秋の終わりと冬の入り口はやっぱり寒いし、切なくもなる。

何しろ一つの終わりがやってくる季節。師走へ、年の瀬へ。初秋の夏の角が取れたような陽気や、中秋の澄みだした大気に浮かぶ月を全部置き去りにしていく。冬にテイクオフする直前の、始まりの1日。