徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

恨みつらみをエンジンに

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

楽しくて、幸せで、何もいらない、もう、何もいらない!

って時には本当に大抵何もいらないのだ。ゲームみたいな非現実の世界に埋没する必要もなければ、ブログみたいに日本語を駆使して自分を切り売りしなくたっていい。

ブログを書くということで文字と文章を吐きだしてはいるが、消費しているというより、吐きだした文章で心のデコボコを埋めているイメージに近い。一種の精神衛生を保つツールとして、ブログは優秀である。

 

久しぶりにあった友人と話す時、弾む話題の多くは辛い記憶だったりする。猛烈な説教や土砂降りの中の練習。もう2度とやりたくない記憶ほど、離れた時に面白さが増していく。なぜかデフォルメされて生々しさが抜け、カジュアルな記憶として残る。

文章にすると、その作業を自己完結で成せる。しかも時間の力を借りなくてもいい。

恨みつらみ苦しみの類を、どれだけ面白おかしく綴れるか。どれだけビタッとくる表現を用いることができるか。感情を大喜利のお題にしているに等しい。昇華してしまうのである。

 

気づいたら何千字と書いてしまうような、筆の滑る題の裏側で僕は泣き、僕は苦しんでいる。こいつの文章、今日はやけに滑らかだな。饒舌だな。そう思った日、僕は相当辛い思いをしている。以下にいくつか例をあげるので、是非とも読んでほしい。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

でも、それでも、本当に辛いことや苦しいことはブログに書けなかったりもする。

話したいことはいくつもあるけど なかなか言葉になっちゃくれないよ

話せたとしても伝えられるのは いつでも本音の少し手前

BUMP OF CHICKEN「ベル」の一節。

全く同じ気持ちである。少し手前が一番面白くて、踏み込むと、ただ辛い。少し手前を綴りつけて、核心は包み隠してしまう。大切なところは昇華できないものなのだろう。

おざなりな恨みとつらみがエンジンとなり、今日も書く。

みんな悩んで大きくなるのである。