ピロカルピン
僕が物陰から、静かに見守っていたバンドだ。
ギターボーカルの松木さんとギターの岡田さんによるユニットの形を今は取っている。
どこでどうやってバンドが結成されて、どんな略歴があるのかとかの話は、オフィシャルサイトに譲る。僕自身、ピロカルピンの生い立ちを語れるほどのピロカルピストではないので、雄弁に語ることはできない。
ピロカルピン official site | ロックバンド『ピロカルピン』のオフィシャルサイト
これまで、インディーズとメジャー含めて8枚のアルバムをリリースしている。
出会い
僕がピロカルピンと出会ったのはちょうど今から6年前と少し前。ちょうど上京した頃である。
近所のTSUTAYAで「宇宙のみなしご」に猛烈なポップが立てられていた。
カラフルでビビッドなポップに囲まれた「宇宙のみなしご」は激奨されていた。
有無を言わずに聴け、借りろ、手に取れ。鬼気迫る推薦のされ方だった。
少し、身の上の話をする。
上京したての当時、僕は環境の変化に見事なアッパーを食らわされ、人生の淵に立たされている気分で毎日を過ごしていた。
もう闘えないからTKOにしてくれ。レフェリー、頼むから試合を止めてくれ。こんな絶望的な気分で学生やってるやつがどこにいるんだよってくらいに崖っぷち人間だった。
生乾きの臭いがプンプンするボロ雑巾よりもボロボロだった当時。
唯一の楽しみが、毎日TSUTAYAに行ってCDを眺めることであった。
ポイントは、借りずに眺めるところにある。
僕はバイトをしていなかった。
部活でバイト禁止されていた*1のもあるし、上手くいかないのにバイトなんかやったら状況は悪くなるばかりだと頑なに信じきっていた。保守的な人間だ。
バイトをしない大学生がどういう状況に陥るかというと、顕著に貧しくなる。
バイトしてても貧しいのに、尚バイトをしないをや。
赤字国債を発行することなく事業仕分けのみで採算を取ろうとしている政権の如き、徹底した節制。合わない採算。
見定めて、見定めて、稀に勇気を出してアルバム10枚を1000円で借りることが幸せ。
その中の一枚に、ピロカルピンの「宇宙のみなしご」があった。
宇宙のみなしご
7曲入りのミニアルバムである。
ビビッドポップの原生林の中の、「草野マサムネが絶賛!」という文言に目が留まった。
たまに記事にするくらいにはスピッツが好きだ。
マサムネがそんなに言うなら…と借りた。10枚1000円の厳選に勝ち残り、晴れてピロカルピンは我がウォークマンのラインナップの仲間入りを果たしたのだった。
衝撃的だったのが、2曲目の存在証明。
疾走感という知覚はこの人たちのためにあるんじゃないかっていうほど、圧倒的な疾走感を纏っていた。
1曲目には時間計という曲が入っている。
プロローグというか、アルバムの幕開けの曲。1分程度の短い曲だ。コツコツとメトロノームの音が静かになり続ける。疾走直前の静けさ。
時間計でゆっくりと始まった「宇宙のみなしご」は、フィードバック音のようなフェードインから突然疾走を始める。
存在証明
この音像。この音像が、ピロカルピンだ。
イントロから真骨頂である。
ディレイだろうか。何かしらの空間系エフェクトを盛大にかけたジャキジャキのギターサウンド。難しいことをやっているのか、エフェクターが難しく聞こえさせているのかわからない。浮遊感を感じる音。
その上で、疾走感は失わない。
疾走感はテンポが速ければ生まれるわけではないようだ。存在証明なんかは特別テンポが速いわけではないが、息をもつかせぬ疾走感がある。
さらに、ボーカル松木さんの歌声。
公式HPには、
少年のようにイノセントな輝きを放つ透明な声
とある。
BUMP OF CHICKENやRADWIMPSの子分たちと称しても過不足ない数多のバンドたちが雨後の筍のごとくワラワラと育つ昨今。どのバンドのボーカルがどの声を持っているのか、ごちゃごちゃになりがちである。皆声が似ている。
女性ボーカルだって、絢香的なコブシ使い派かチャットモンチーのえっちゃんのような可愛い声派かに大勢が分かれがちである。独断と偏見です。
以上のようなカオスな歌声事情の中、松木さんの声はなんとも分類し難い声だ。管楽器にミュートをかけたような響きがある。人とは違う回路で声が出ていそう。この際、上手い下手の括りに意味はない。個性が素晴らしい。
そして、歌詞。
存在証明の歌い出しはこうだ。
今開け放たれた窓に 光が滑り込んだ
格子戸短かし木陰に 季節が息をとばす
格子戸のわずかな隙間から漏れる光。季節の吐息は光。
理解できそうでできない。ただ言葉の響きは美しい。
この感じは初期のスピッツに似ている。松木さん自身もスピッツのファンのようで、あの綺麗な響きにエグさを隠し込むテクニックを見事に継承している。
格子戸短かし木陰に 季節が息をとばす
存在証明のメロディにこの歌詞の響きを乗せるのは天才の所業としか思えない。
いいから聴いてほしい。
しつこく載せる。
キャッチーか否か
キャッチーの定義は果たして。みたいな論議は小難しい話になってくるので、ひとまず銀河の果てに置いておく。僕の手に負える話じゃないです。
さておき、先に紹介した存在証明。これは非常にキャッチーな曲だろう。
Aメロ、Bメロ、サビがはっきり分かれているし、サビのメロディも、
ほどけた闇に 残した光
真夏の夜の存在証明
の「闇に」「光」の語尾で上の音に当てながら韻を踏んで、「真夏の夜の存在証明」で順番に音階を降りてくる。とっても分かりやすい。
コードも半音下げのG-A-D。若干の憂いを残した王道コード。売れ線。
では、「人間進化論」はどうか。
どことなくコアな感じが漂ってくるだろう。
「ここからがサビです!みんな盛り上がって!」
のような分かりやすいヤマ場が特段あるわけでもなく、ヌルっとサビに入っていく。
サビのコード自体は半音下げのG-A-Dで「存在証明」と変わらないのに、Bメロが少しヒネているせいか、明快さは大きく異なる。
その昔、ジョンメイヤーのアルバムを買ったことがあるが、殆ど理解できずに聞くことがなくなった。
スルメ曲満載!という、やはりビビッドなポップに目が眩んで手が伸びたのだが、スルメの味がしてくる前に敢えなく吐き出したのだった。
ピロカルピンにも多分その気はある。
刺身かスルメかといえば、スルメだろう。
しかし、化学調味料満載のシュークリームか、天然素材を丹念に漉して作り上げた栗きんとんかといえば、栗きんとんである。糖と脂肪で脳みそをグラグラに揺さぶる強さはないが、口に含んでいるとふわっと感じる上品な甘さがある。
ピロカルピンに西野カナのような分かりやすさを期待していると大いに怪我をするので要注意である。
曲げない音楽性
僕が持っているピロカルピンのアルバムは以下だ。
どれも古いものばかり。インディーズの頃の作品がほとんどだ。
ピロカルピンは、今年の5月にニューアルバムをリリースしたという。
ピロカルピン「ノームの世界」インタビュー (1/4) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
リードトラックが、「グローイングローイン」
キャッチーではある。
ラララ
変わり続けてく
グローイングローイン
みんなで歌えそうな社会性がある。
でも、音はびっくりするくらいピロカルピン。
イントロの頭で三回キメた後に鳴るギターアルペジオの音色が圧倒的にピロカルピン。サビのバッキングのアルペジオもまごうことなきピロカルピン。
全くブレがない。
さらに「小人の世界」
分かりやすさはない。こじれまくった知恵の輪をぶん投げられている気分である。
録音環境が変化したなどの記事を見かけたが、本質は変わっていない。
とかくメジャーデビューをすると各所からの風当たりによって音楽性がなびくアーティストが多いと伺っている。資本主義に、商業ベースに乗るということは、社会に迎合していくということだ。
世知辛い環境で、ピロカルピンは見事にピロカルピンで居続けている。ピロカルピンのまま、社会が振り向くのを待っているとも言えるのではないか。
これから
ようやっとピロカルピンに埋没する時期がやって来ている。
リスナーの音楽遍歴に多分に関わってくるだろうが、J-POPやメロコアの王道に埋没してきた僕のような人間は彼らを理解するのに大変な時間がかかった。
ひとまず聴き損ねている残りのアルバムを聴こうと思う。
執筆中にずっとYouTubeでピロカルピンを流していたが、自動再生は一人でに進み、今はyogee new wavesが流れている。
今や一大勢力になったyogee new waves、never young beach、cero、suchmosの一派。シティポップと言うのでしょうか。
彼らの音楽はとても聴きやすい。穏やかな気持ちになる。
今、街で流れているような音楽とは違うピロカルピン。
だが、スルメも、栗きんとんも、味を占めたらやめられないものだ。胃ももたれない。
6年越しの思いの丈を綴った。この曲のメロディが!この歌詞が!と言い出したらキリがなくなるので、細かな所はいつかやってくるかもしれない次に譲る。
ひとまず、以上が僕が聴いてきたピロカルピンです。
*1:僕を追い込んでいた元凶も部活である