あながち間違っちゃないと思う。
引っ越しを決め、やること山積の日々にみずから飛び込んだ。が、時期尚早だったか、どうだったか…と逡巡の末にちょっとブルーになっていたのは先般の記事による。
朝から文章を書き、米も炊き、弁当を作り、洗濯物を出す。
ブルーを吹き飛ばすためにわ規則正しい生活をして、目の前のことを一つ一つこなしていこうと決心をしていた。
猛烈に動き回った末、いつも通りの時間に家を出て、会社に少し余裕を持って到着する電車に乗り込もうとした時に、ハタと気がついた。
財布がない
いつもの身振りでSuicaをピッてしようと思ったら、財布がない。
カバンを漁ってみる。一番馬鹿らしいのは、ダッシュで帰って家を探してもなく、結局カバンにありましたというオチだ。
絶対カバンに入ってる。今更そんな初歩的なミスをするはずがない。ない…ない……。
懸命に探せど、財布が登場する気配はなく、瀑布のごとく落ちていく時間。焦る。
ふと、頭をよぎる。
僕はさっき、洗濯物をクリーニング屋に出しやしなかったか。その時、財布はあった。
どうした…その財布をどうした…
クリーニング屋に持っていったカバンの中…!
無理やり規則正しい生活へのテコを働かせて、慣れない早朝クリーニング屋なんかを決め込んだせいで、いつものリズムが崩れたらしい。
大きなカバンに詰め込んだ洗濯物と財布。
洗濯物を出して、そのまま家に帰り、カバンの中に置き去りにされた、財布。
半信半疑なんかじゃない、絶対的な確信を持って自宅へのダッシュを開始した。
徒歩10分の道のり。
どうしても乗らなきゃいけない電車まではあと13分。
家での探索を含めると6分での往復を余儀なくされていた。
時間の皮算用をしながら走る。走る。
霜月の空の下、錦糸町のどんなラブホテルの一室よりも熱く燃えたぎる男がここにある。
息を乱し、髪を乱し、辿り着いたが自宅。案の定、財布は大きなカバンの中に小さくうずくまっていた。
ひっつかんで折り返す。
あと7分
階段を登るとか、逆行してくる人並みに立ち向かうとか、諸々を考えたら5分で駅に着きたい。
頭を大きく前に倒し、僕はまた走り出した。
一度インターバルを挟んだ後の2本目ほど辛いものはない。経験的に知っている。しかし、辛さを知っているからこそ、立ち向かう勇気も生まれる。
弁当とカバンを持ってだるくなる右腕、ブンブン振る左手は末端から酸素が届かなくなっていく。酸欠だ。なんとなく前頭葉もぼんやりしてきている。
それでも、足を止めない。
辛い思いをしてサイフを取りに戻ったのだ。
こんなところで諦めて電車を逃すような根性ではいけない、いけない。
走れ。走れ!
赤信号と青信号の間を飛び越え続けて、辿り着いた駅。太ももはもう上がらないと言っている。
コントロールできなくなり始めた体をなんとか動かして、慎重にSuicaをピッとする。
定期使用、1,926円。
構内を駆ける。最後、階段が待ち構える。
乗らねばいけない電車から降りてくる人波にぶつかる。
階段の橋を駆け上がる。一足飛び、二足飛び。腕も手すりも全部使って、走る。
飛び込んだ電車は、まもなく扉が閉まった。
場違いなほど息が上がった1人の男。
去来していた感情は、「なんか今日も頑張れるかもしれない」という、ものすごくポジティブなそれであった。
さて、運動には大きく分けたら二つ種類がある。
有酸素運動
無酸素運動
前者がマラソン、後者が短距離走と想像していただけるといい。
よく、無酸素運動は息吸わないと思われるのだが、そんなことはない。
吸った息がヘモグロビンと結びつくヒマもないほどのハードな運動
だと思っていただけるといい。需要過多の状況ですね。
とかく、有酸素運動が健康にいいと騒がれる。ホットヨガブームはまさに有酸素運動のブームである。
訳もなくふらふら歩いていると考えがまとまっていく感覚を得られるのも、血行が促進されて酸素が全身に行き渡るからだと言える。
対する無酸素運動。
こいつは全く気持ちよくない。何しろ酸素が足りなくなるのだ。思考ができなくなり、手足は痺れ、動けなくなる。
本日の運動は、無酸素運動にあたる。
しかし、無酸素運動のメリットは無酸素状態から徐々に解き放たれていく過程だ。
地獄の一丁目一番地のような苦しみから、息を吹き返すと、不思議と世の中なんとかなる気がしてくる。目の前の今が辛すぎて、大抵のことは辛くない気分になってくる。
自ら好んで地獄の淵に立つマゾヒストは多くないだろう。でも、この気持ち良さ・瀕死から這い上がったサイヤ人のような復活をたまに味わうことは、精神衛生上悪くない気がする。
幸か不幸かの全力疾走から考えた諸々でした。
会社までもダッシュになりそうです。