徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

1ヶ月間洗わないで放置していた炊飯ジャーを開けるときの恐怖

しばらく行っていなかったサークルにもう一度行ってみるときの恐怖

不登校復帰時の恐怖

 

一度蓋を閉めたものを、開ける。目を逸らしたものを、見つめる。

この類の恐怖は、僕が立ち向かう恐怖の中でも有数である。望んでか、望まずかはさておき、一度関わったものからしばし離れると、再度関わりを持つのが至極面倒になる。

面倒、いや、恐怖。恐怖である。

 

例えば、仕事。

やらなきゃならないらしいけど、具体的にいつまでとか言われていない仕事。

関係者からも特に催促されない。これは…やらなくていいのか?やるべきなのか?やれとは言われた。やったほうが望ましい。しかし、その後何も音沙汰がない。どうする。

こうなると、改めてエンジンをかけることはものすごく難しい。

なんとなくうやむやに、蓋を閉めて、見ないふりをして、忘れたふりをする。

大抵、その蓋が自ら開けられることはない。仕事関係者が不意に蓋を開けて確認して、めっちゃ腐っていることがバレて、叱責の対象になる。

仕事できない典型パターンである。

 

結局、すぐやる奴が勝つ。やることを見定め、ドミノにして、「すぐやるドミノ」をパタパタ倒していける奴が最強だ。

一度棚上げした諸事を棚から降ろすことほど面倒なことはない。

クローゼットに突っ込まれた、着るやら着ないやらわからない服を、断捨離とかではなく、日常的に捨てていける判断ができるか、否か。そこが本質。

 

「とりあえず今日のところはジャー洗わないでいいや、明日の朝にしよう」

「いつ出してもいい書類だからとりあえずここに置いておこう」

そういう奴は、平気で一ヶ月ジャー洗わないし、書類を出さない。

 

コツコツ勉強できる子が偉い

定期テストの度に痛感したあの感覚。自らの学力を棚卸しした際の無力感、情けなさ。

夏休みギリギリになって現実を直視した際の絶望感。

 

僕らは、いや、僕は、未だにあの頃と同じ後悔をして、生きている。反省もせずに。

いくつもの物事をいつでもできると視界の端に追いやって、見て見ぬ振りをしている。

 

そろそろやめたい。すぐやる人間を極めたい。

引っ越しを機にって思ってる。というこの思想が、典型的な明日やろうは馬鹿野郎人間の最たる例だ。

落ち葉になって腐葉土と化し、次の芽を育てていきたい。今度こそすぐやる人間になれるよう。