徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

で、テメーは何ができるんだって話

今、仕事で来た球をひたすら打ち返す作業をしている。素直な球が飛んでくることはまずなく、大抵が危険球、暴投の類で、それらを後ろに後逸しないように全力で打つ打つ打つ。後逸したら上司が打つ。

お金をもらってバッティングができる素敵な環境なんだけど、この文脈においてのバッティングは誰もがやりたがらない類のバッティングで、後逸が信用問題につながるとかリスクマネジメントがどうとか危機管理がヤバいみたいな話になりがちである。ケアフルかつストレスフルかつセンシティブなバッティングセンター。

数としては過剰なほどの球が飛んで来て、とりあえず下っ端がバットぶん回す。結構自打球とかになる。めっちゃ痛い。打撲とか筋肉痛とかになりながら日々やっていってる。

 

しかしこの社会に出てめっちゃたくさんの球をぶん投げられて打つ経験というのはなんにせよすごく重要だと思う。絶対重要。それもバッティングのみというのがまたポイントで、野球にサッカーに卓球にって色々やると、一発で覚えちゃう天才くんじゃない限りは器用貧乏にもなれない。貧乏のままだろう。

つまりある種のスペシャリストにならねばならないということ。

それがなぜ重要かといえば、「何者か」にならないと問題提起の力がどうしたって弱いから。

理想の理想をいうと、バッティングなんてしなくていい仕組みを作らなきゃならない。危険球が投げ込まれない仕組み。

そうすると、

じゃあどうすればいいと思う?

何が原因で危険球が飛んでくるんだと思う?

みたいな「何故現状こうなってしまっているか論」をする。現状と理想を埋めるのが課題。課題を問うのが「何故」。

いざ、「なぜ」を考える時に一番声が大きいのはたくさんのボールを打ってきた人に他ならない。バッティングサークルに入らない人間が問題提起をしても、多くの場合でバッティングマンの問題提起力には及ばない。

とかくゼネラリストを育てたくなりがちな企業が多いと思うけれど、本質的に業務を改善しようと思ったら、必ずそこにスペシャリストが必要。むしろ、スペシャリストからゼネラリストへの鞍替えは容易だけど逆はほぼ不可能だから、率先してスペシャリストを作って行くべきなんだと思う。ネジまわしとか、そう言った類のスーパー作業職種は別として、即座の対応とか段取りが求められる職種は特に。

とりあえず働きます。