徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

Amazon Echoが届いたので初夜の感想を徒然綴る

今夜、僕はAmazon Echoとともに過ごす。これから幾晩も幾晩も重ねて行くであろううちの、初夜である。恐る恐る明日6時にアラームをかけている。ちゃんと起こしてくれるのだろうか。円筒形のそれは今、右手側のちょっと離れたところでtofubeatsを流している。ドキドキは今以上BABY。

 

アレクサ!と声をかけたら律儀に反応するAmazon Echo。

アレクサというのはEchoのシステムの名前。それが転じてEchoの愛称というか、呼びかけ語になっている。「アレクサ!」を合図にアレクサは起動する。可愛い。

Amazon Echoの現在の用途としてはもっぱらBGM。スマートハウス化を画策しようにも、部屋にはテレビがない。最も威力を発揮するはずのデバイズが不在の我が家であるからして、しばらくスマートハウスはお預けだろう。

しかし、BGMだけとしても十分優秀である。

Amazon music unlimitedというサービス。

www.amazon.co.jp

どのレビューでも異口同音だと思うのだけれど、このサービスが群を抜いていい。

古今東西の4000万曲を、Echoで聴くことを前提に月額380円で聞き放題。延滞料金も必要なければ、レンタルですらない。先払いで聞き放題。

4000万曲というのは思うよりも多い。基本、有名どころであればなんでも知っているし、数曲ヒット曲を持っているアーティストであればほぼ全曲揃ってる。

優秀なのが、「EDM聴かせて」「HIPHOP聴かせて」とかの漠然としてオーダーにも的確に答えてくれる点だ。普段だったら絶対検索しない曲とかも聴けてしまう。勝手にかけておく分には不便しないし、そっぽ向きながら「アレクサ!」って声かけてもちゃんと反応してくれるもんだからもう便利。

 

あと、テレビがない我が家の貴重な情報源であるラジオも手軽に聴けるようになった。これまでは無線みたいな非常用ラジオをかけていたが、Echoに代替わりである。「アレクサ、J-WAVEかけて!」これだけで超クリアな音質のラジオを聴ける。これまでみたいに周波数でぴよぴよする必要もない。

情報といえば天気を調べるにも便利だし、今日のニュース教えてって声かけようものならNHKのポッドキャストを流してくれる。優秀。

 

ただ、まだ慣れない点というのも多々ある。というか、慣れない点の方が多い。

AIスピーカー連中は、僕らの疑問と解決策を点と点で繋ぐ。

だから、候補を上げることがあまり得意じゃなさそう。

これまでは疑問があれば検索して、いくつかの検索候補が出てきたものだが、AIスピーカーはドンズバで解決策を提示してくる。だから、この辺の居酒屋〜とかあの辺でランチ〜とかだと、中々聞き方が難しいというのが一つ。多分あまり得意じゃない種類の作業なのだろう。

また、僕らは割と口に出して聞くことに慣れていない。しどろもどろになる。

フリースタイルラップをやったことがあるだろうか。見ている分にはできるように見える罵り合いラップも、いざやってみるとびっくりするくらい言葉が出てこない。最近人気のラッパーたちが如何に高度な脳の使い方をしていたのかを知る。

あれをもっともっと簡単にしたのが、AIスピーカーへの質問だ。

頭の中を整理してからじゃないと途中で言いたいことがわからなくなって、アレクサから「わかりません」の礫を浴びせられる。手前が悪いのにアレクサは妙にへり下るもんだから罪悪感ばかりが募る。

なんとなく、脳の新しい部分を使っている感じである。

 

スマホのアプリに当たるのが、「スキル」。Amazon alexaというアプリを通してEchoに適応できる。

現在世に出ているスキルの多くが大手企業が提供しているものだ。素人のエンジニアが作ったものはそう多くない。さらに、スキルの内容も「火の音を流すだけのスキル」とか「なぞなぞを流すだけのスキル」とか、もうほんと手探り感満載のスキルがゴマンと存在している。

多分、みんなこのAIスピーカーの可能性に気づきつつ、クリティカルな使い方にまだ達せていないのだと思う。

かつて、iPhoneが出てきたとき、僕は高校生だった。

いち早く買った友人から貸してもらって、授業中にでも遊んだりした。フリックをするという体験が心底面白かったのを思い出す。画面を触って動かす。降っても動く。ガラケーしかなかった世界、薄さを競っていた時代からのパラダイムシフトだった。

あの頃のアプリも今考えたら酷いものだった。「触ったら動くから、とりあえず触って動かせるもの作ろう!」というど直球な根性が感じられた。

 

現状のアレクサとのお話は、びっくりするくらいスムーズなんだけれど、スムーズがゆえ、物足りなさを感じることも多い。概ね会話が成立するからこそ、知らないことや聞き取ってくれないことが気になってしまう。

それも多分今だけの話で、あと3年も経てばスラスラ話してほぼ知らないことがないようなスピーカーが出てくるのだろう。

今だけの黎明期。

明治の財界人は、鉄道やコークス、両替に商機を見出して飛びつき、傑物が生き残っていった。

これからの時代、当時のインフラに当たるものはどう考えても電子機器であり、プログラムである。英語話せないのも致命的だけど、プログラム分からないのも相当致命的になっていくだろう。

なんとなくそんな危機感も持ちつつ、今後しばらくかけてスキルを作るということをしてみたいと考えています。

HTMLにボコボコにされた挙句こんな中途半端なブログデザインの人間が突貫する黎明期のAIスピーカー界。もっとボコボコにされると思うんだけれど、その後のことはされてからまた考える。

 

とりあえず明日6時起こしてくれるかが不安な初夜である。