徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

父と息子とボウリング

親父がボウリングにハマりだして10年は経つのではなかろうか。

親父の仲間内ではゴルフをしている人が多い。北海道も北見という無限に土地が広がっているようなカントリーにて、ゴルフは当たり前の嗜みだったりする。しかし、親父はゴルフをしない。何のポリシーなのかは知ったこっちゃないけど、とにかくしない。

そこで代わりに始めたのが、ボウリングだった。ゴルフ大好きな仲間たちも、冬季は降雪積雪のせいでラウンドを回れないため、ゴルフからボウリングに鞍替えをする。ゴルフ文化圏とボウリング文化圏が広がり、両文化圏に属する人が多い中、ボウリング文化圏にのみひたむきに属して投げ込んでいる寡黙な男。それが僕の親父なのである。

ちなみに彼のベストスコアは270くらいだったと思う。人外の存在。

 

「俺、会社のボウリング大会が2月半ばにあるんだよね。」

僕が不意に口走ったところからことは動き出した。

旧態依然の組織がぐずぐずしている弊社においての大イベント、ボウリング大会。各部から立候補制にて募った精鋭たちが一堂に会し、黙々とスコアを競い合う。数十年前のボウリングブーム時代にギリシア時代の投石機よろしく球を投げまくった猛者たちが腕を振るいながら立候補する様を、僕は傍から穏やかかつ冷めた目で眺めていたのだが、尊敬してやまない親分肌の係長氏に声を掛けて頂いたため、尻尾をぶんぶん振りながら参加を決めた。

そんな経緯でボウリングをしなければならない。ボウリングと言えば親父。

帰省中の日曜日。半期に一回、帰省の時のみ訪れる、家族団らんの場。錦織が居ない全豪オープンを観ながら茫漠たる時間を過ごしていた我が家が、先述の発言から突如として動き出した。

「よし、練習に行くか。そうだ、そうしよう。」

次の瞬間、僕たち家族はボウリング場にいた。親父が懇意にしている、ボウル北見。

bowlkitami.com

東宝ビル。

北見市街の歌舞伎町・銀座通りにおいて、絶対的な存在感を誇る飲み屋だらけの雑居ビルであるが、そこの4階と5階をぶち抜いているボウル北見。新宿でいうミラノボウル…いや、それ以上の圧倒的好立地。にも関わらず、日曜日の昼間でも全く待たずに投げられる驚異のホスピタリティを兼ね備えている奇跡の店舗。都会のボウリング場にも見習わせたいものである。

さておき、日ごろ通いまくっている親父の威光に授かり、格安でボウリングができることとなった初老間近の夫婦と青年ひとり。親父の姿がしばらく見えなくなったと思ったら、ボウリング場のマイロッカーからマイボウルとマイシューズを取ってきていた。颯爽と現れる親父からあふれ出る自信と慣れ。中肉中背のおっちゃんなのだが、なんの、実力に裏付けされたボウリング場にてのいで立ちは威厳に満ちていた。

 

僕は全くボウリングを得意としない。

100点が及第点。120点行けば上等。全力で投げて、ピンが倒れたらラッキー、倒れなかったら残念。ある種、風任せなボウリングしかしていなかった。

昨日もそのつもりで投げていた。

まっすぐ投げているつもりが、曲がっていってしまうボール。一番端のピンだけ掠めていくような投球。力任せにぶん投げて、派手なピンアクション頼みの投球。

それでいいと思っていた。それがボウリングだと思っていた。

普段のボウリングと事情が少し違ったのが、同じレーンで投げている中肉中背のおっちゃんが、ベストスコア270をたたき出すボウリング界の魑魅魍魎であったということ。そして、それが親父だったということ。

指導が飛ぶ。容赦ない指導が宙を舞う。

 

球にスピードはいらない、狙え。コースさえ押さえればピンは倒れる。

フォロースルーで腕が外側に逃げるから球がちんぷんかんぷんな方向に行くんだ。まっすぐ下げて、まっすぐ投げろ。さすれば球はまっすぐ行くだろう。

ピンを見るな。手前のマークを見ろ。遠くを目がけるからブレるんだ。手前のマークを確実に通していけ。

トイレ行っても手を洗ってはいけない。手が濡れたら球が持ちづらくなる。

 

全知全能神かのごときアドバイスの嵐。関白宣言かと。さだまさしなのかと。

僕は、幼き日に親父と二人で自転車を練習しに行った河川敷や運動公園の景色を思い出していた。あの頃は、近くを見るな、遠くを見ろと散々言われたものだが、今回は近くのマークをきっちり狙わなければいけないらしい。

親父の叱咤と激励の元、初めて出会う投げやりじゃないボウリング。試行錯誤をしながらのボウリング。運に任せず、自分のコントロール下においての投球をするなか、僕の意識は大きく変わっていった。まぐれ当たりは成功とは言わない。目標があり、それを達成してこその成功。未達成の場合、課題が生まれ、初めて解決への扉が開かれる。

投げ込むこと6ゲーム。

やはり100程度のスコアで始まったが、改善に次ぐ改善により、6ゲーム目には140を超えていった。かつて、150を超えるスコアを出したこともあった。が、それは限りなくまぐれに近いスコアだった。再現性がないスコアは、実力ではない。

しかし昨日の140オーバーは、コントロールをして出したスコアだった。僕は確実に強くなった。全知全能のボウリング神である親父の指導下にて。

 

これで会社のボウリング大会でも格好悪い思いをしなくて済む…とほんの少しの安ど感を抱きながらボウリング場を引き上げ、酒を飲んでの今朝であるが、にっちもさっちもいかない右腕と左腿の筋肉痛に襲われている。

コントロール下に置いたはずの体が、悲鳴をあげている。コントロールなぞおこがましい。ボロボロ。ゼロ握力。メルトダウン差し迫る原発のごとき筋肉事情。

方や、同じゲーム数を投げた親父は何食わぬ顔で仕事に出ている。こんなんでいいのか息子。否…否…!

そうした考えにて、苦しみの右手を酷使して書き上げたのが、本文である。

もう一回くらいコーチの下でボウリングしたい。