徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

生産者の思い

行きつけになりそうなお弁当屋さんができた。

お兄さんが1人でやっている個人経営のお弁当屋さん。ワンコインで手作りのお弁当が買える。ボリュームも味も品数も文句なし。弁当の他に、クッキーやマフィン、ケーキなどの甘味も置いてあり、見事僕は単価アップに貢献している。甘いのも美味しいのだ。

弁当の内容がしっかりしているのは大前提として、行きつけにしたい気持ちが湧いてくるのはそれだけが原因じゃない。

 

お兄さんが本当に嬉しそうにお弁当を売る。

 

いらっしゃいませから、ありがとうございましたまで、元気いっぱい、店に来てくれて嬉しい気持ちを存分に表している。あからさまに人の良さそうな、嬉しそうな笑顔をされてしまった日には、また来る気になってしまう。

きっと、苦労して仕込んだお弁当なのだろう。1人で材料を仕入れて、料理して、販売している。どれも美味しいですよ!と衒いなく話す様は清々しい。お兄さんの、生きた声だ。

 

50億個を超える勢いで伸びている配送品。増やしているのは他でもない、Amazonを代表するネットショップ勢だ。というか、Amazonだ。

ネットショップでは、生産者の意見より消費者の意見が重要視される。

なぜなら、エンドユーザーと直接触れ合うのは配送業者だから。ただ、届けることを使命とした業者。中身が本だろうと洗濯機だろうと業者にとっては変わりのないものなので、商品に対しての思い入れはない。生産者はAmazonという大きな暖簾にお願いし、Amazonは配送業者に委託する。薄まり続けた生産者の思いはまずエンドユーザーに届かない。

だから、消費者のレビューを見て、さらなる消費者が購入を検討する。生産者の熱い想いよりは、消費者の抱いた素直な感想で勝負が決まって行く。

消費者の論理に乗っ取られてしまっているからこそ、弁当屋のお兄さんの笑顔と声に余計心が動く。

 

 

Amazonで何気なく頼んだ本や雑貨の類。

そこには、僕には伝わらなかった思い入れがきっとある。配送業者の後ろのAmazonの後ろの問屋の後ろあたりに隠れている思いを、汲み取ることができるだろうか。