徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

オオグチボヤ人間

敬愛する早川いくを氏の名著、「へんないきもの」に於いて、4番サード的なポジションに君臨する深海生物、「オオグチボヤ」。

オオグチボヤ - Wikipedia

海底に根を張り、名の通りの大口を開けて獲物を待つ。口の中に入り次第、濾し取る。

究極の受動。生命の鍵を握る食事というファクターを、「待つ」という行為に賭けている。博打を打つなんてもんじゃない。全生命をかけて、彼は、彼女は、待っている。

 

なまじ人間は動けてしまうので、能動こそ正義のような風潮になりがちである。受け身の人間はダメだと言われがち。主体性を持って考え行動する人が素晴らしいとされがち。

間違いなくそうなんだろうけど、人間いつでも能動的に生きられるわけでもない。

 

大して働いていない癖に疲れてんのか知らないが、本日無性に何にも考えたくない日だった。無。虚無。ニュースも見ない。活字も読まない。無。やはり、虚無。

ぼんやりと君を眺めていたんだ

校舎の窓からやっぱり可愛いなって

back numberの「恋」の歌い出しである。

「ぼんやりと」ぼんやりしているのはわかるが、「君を眺めている」時点でそれはほぼほぼぼんやりではない。見てしまっている。

ぼんやりとは、何も考えない、何も見ない、何も聞かない。不感。

目には入っているし、耳にも入っているのに、輪郭を持たせない。

 

一日極めてぼんやり過ごしてみて、あぁ、これは、オオグチボヤだなと思った。

深層海流の中をそよぎながら、ただ待つ。選り好みをしないで、来たものを拒まないで受け入れる。ぼんやりと生きる。

ぼんやりしてもオオグチボヤは生きていけるように、僕ら人間もぼんやりしていたとてたくさんのものを見て、たくさんの音を聞いているんだから、しばらくするとなんとなく頭が動き出してくるんじゃないかなーって思ってる。

 

はたから見たら何考えているのかわからないような顔をしていたろうが、僕はぼんやりしていた。そして、オオグチボヤのことを思っていた。そんな一日であった。