徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

一路京都、滋賀

本家のおばちゃんが亡くなったと聞いたのは2週間ほど前のことだった。

北海道は移民の街。原住民はアイヌだが、現在の北海道でアイヌの血が入っている人は多くない。ほとんどが明治以後に入植してきた人間の子孫である。

漏れなく、我が家も明治期に入植した。僕の曽祖父に当たる人が北海道に夢を見て故郷を離れた。その故郷というのが、滋賀にある。

数年前に僕は我が家のルーツをめぐる旅行をして、滋賀にも立ち寄った。

 

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その節に、たくさん料理を作って歓待してくれたおばちゃんがこの度亡くなった。急なことだったらしい。仕事の関係でお葬式は行けなかったが、周忌法要にこれから伺う。

 

たまたま旅行をして会ったから、手を合わせに行ける。でもあの旅行がなかったら、北海道の分家は、本家のおばちゃんの死をしばらく知らずにいたかもしれない。それほど、付き合いは薄くなっている。

縁は簡単に結ばれるものだ。特に最近は。見たことのない友人なんてザラなのだろう。一方で、縁なんてものは、簡単になくなってしまうものでもある。「年賀状だけの付き合い」という付き合いも最近はない。最低限の近況報告もそぞろになる。いつでも連絡が取れると思うからだろうか。

せめて、冠婚葬祭くらいはと思う。年に一度の挨拶はなくとも、一緒に喜び、一緒に悼む。気持ちの往来で、縁はきっと繋ぎとめられていく。

 

花粉が飛び散っている3月の本州。いよいよ春。

散る梅を、咲く桜を見られなかった故人。僕らは、散る梅に、咲く桜に、故人を重ねる。