徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

親族とは

力にもなれば枷にもなり、追い風にもなれば向かい風にもなる。近いからこそ頼りになり、近いからこそ邪魔にもなる。親族とは難しいものだ。親族だからこそ面倒ごとが巻き起こるのも知っている。でも、親族がいないはいないでとても寂しい。

滋賀に法事で伺い、前回の来訪よりももっとたくさんの親族たちに会った。同じ曽祖父や曽祖母をもつ面々が一堂に会する場。僕だけ圧倒的にハジメマシテな人が多い中に、北海道代表のビブスを付けて突っ込んでいった。

四代ちょっと遡ったところで同じ先祖を持つとはいえ、家系図の上ではまずまず遠い面々である。ひとくちに関係性を言い表せない人も多い。けれど、親族であることが印籠のように作用し、今までもさぞ親族でいたかのような距離で接することができた。

返す返す、曽祖父の実家と疎遠になってしまう事実。

知らない居酒屋にふらっと入って隣に座っていた人と話すだけで簡単に縁はできる。なんだかんだ共通点はあるものだし、アルバトロス級のばったり偶然に出くわすこともある。

でも何より難しいのはその縁を繋ぐことだった。

習い事をたくさんするのは簡単だが、継続が難しい。色々な店に入るのは簡単だが、行きつけを作るのが難しい。その日の気分やその日の流れだけじゃない付き合いを繫ぎ留めるのが何より難しい。

北海道の分家から青年がせっかく来てくれたからということで、気を利かせてくれたのか、祖父の姉の旦那の兄貴の孫だというおじちゃんが祖父の姉と旦那の結婚式の写真を持ってきてくれた。ややこしや。15人くらいが紋付を着て並んでいる写真。何年前の写真かも知らないが、15人中確実に名前がわかる人は新郎新婦と新郎の父親の3人だけだった。他の13人は誰なのかわからない人になっていた。

どうせ歴史は埋もれていくものだからと言えばそうだ。でも、思い出してやれるのならそれが一番いいだろう。あの人はどうだった、この人はどうだったと話せていたら、歴史に埋もれることもなく眉唾な言い伝えでも伝わっていたかもしれない。

結局、縁が薄くなって行ったから、話し伝えることもなくなった。まして本家から1500キロと少し離れた分家には言い伝わるはずなく、三代四代前の話がおぼろげに残るだけだ。

先祖を忘れたくないのか、自分が忘れられたくないのか、わからない。思い出すために縁を繋ぎたいのか、一人っ子の寂しさに連れて縁を繋ぎたいのかも、わからない。ただ、せっかくもう一度繋ごうとしている縁を一生懸命離さないようにしようと今は思う。

多分次は一周忌に伺うと思う。

年忌法要の感覚が空くたび、また疎遠になっていくのが見えるようで辛い。

そんなものと言われれば、全部そんなものなのだろうが。