徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ナイトランニング羽田

何となく春めき出してから少しずつ走るようにしている。仕事に行く前、帰った後、時間は様々だが、気分が乗った時には気軽に家を飛び出すよう心がけている。場所も様々。蒲田付近に住んでいるので、東京湾付近の河川敷をひたすら行くこともあれば、第一京浜をひらすら遡ったりもする。

今、思い立ったので走ってきた。環状八号線。いわゆる環八をてくてくと。

走るのも億劫な日もあれば、走り出して見てしんどい日もある。しかし今日は走り出しても気分がなお乗っていた。春の風が大通りを吹き抜ける。追ったり向かったり、四方からの風を受けながら足取りは軽かった。行けるところまで、行けるところまで行こう。

産業道路を渡り、高速を渡り、穴守を越えた先、そこは東京国際空港。羽田空港である。

首都高を超えたあたりから、通りをゆくのは大型のトラックか猛然と飛ばすタクシーが多くなり、建物は細々としたコンビニから巨大な倉庫や大企業の本社に変わっていった。逆ガリバーな気分を味わいながら空港へ向かう。幅の広い歩道に往来は少ない。通りを独占したような感覚を覚えながらも、なお走る。

歩道が途中で途切れたりして、車社会を痛感しながらもたどり着いたが国際線ターミナル。世界の玄関口。

クアラルンプール行きの飛行機に搭乗するはずの人を探すアナウンスが流れ、ビジネスマンや観光者が大型のスーツケースを引きずりながらあちこちを忙しなく歩き回る中、悠々と短パンTシャツで闊歩する男一人。この空間で自分よりも身軽な人間はいない優越を感じ、胸を張って出発することのない出発ゲートを眺め、佇んだ。

やろうと思えば、なんだってできる。

それこそクアラルンプールにだって、カルカッタにだって、カイロにだって、イスタンブールにだって。バルセロナ、リバプール、ニューヨークにだって、どこにだって行ける。可能性だけは広がっている。掴まずにほったらかしにした海外の紐が、そこに散らばっていた。

未だ出会ったことのない海外の名前が並ぶ電光掲示板を背に、僕はまた走り出した。現実と非現実の接点から、圧倒的な現実へ。

帰りの道は長い。長く重い。数十分前に通った道と目に見えた明日が転がっている。得るものは疲れと、少しの健康くらいなものだろうか。しかし、嘘でも血はめぐる。巡った血は不思議と人を前向きに動かす。いつでも掴める非現実の紐が見えただけでよかったじゃないか。自分の足と世界は繋がっているんじゃないか。それがわかっただけでもよかったじゃないか。

六畳一間に帰った。ほんの少し、部屋が広がったような気がした。

ナイトランニング羽田。気持ちいいものでした。