徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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あなたに認められたかった

今朝、母から連絡があった。

寒いようですがお気をつけてください。ちなみに、「なごり雪」というのは広辞苑に載っておらず、正やんの造語だそうです。正しくは、名残の雪というそうです。

そんなような内容だった。

僕は、こう返した。

窓の外は雨ですが、止むに止まれず、仕事に行ってきます。

母からは、

年をごまかしているのではないですか

と返信が来た。

 

この会話にどんな予備知識があるかというと、まず、伊勢正三がなごり雪を作った。そして伊勢正三が作った曲の中に雨の物語という曲がある。雨の物語の一節が、

窓の外は雨 雨が降ってる

物語の終わりに こんな雨の日 似合いすぎてる

である。そこで、僕は「窓の外は雨」を引用した。母は、それを見て、年をごまかしているのではないですかと言った。

 

僕はかつて年をごまかしていると言われるのが嬉しかった。小学生の時分からそうだった。ビートルズを知り、グループサウンズを歌い、かぐや姫を良いという。すると大人たちはよくそんな曲知っているなという。それが嬉しかった。

ただ、大人たちに認められている気がするのが嬉しかった。

もはやどこまでが自分の嗜好なのかもわからなくなってしまった。とっくに全ては僕の血となり肉となった。けどそれらの音楽と出会った時、心を本当に揺さぶられたのかといえば、そうではないかもしれない。

小さな頃から、食べることには困らない生活をしてきた。めちゃくちゃ裕福ではないにしろ、父も母も健在だったし、一人っ子だったし、食べ物と愛情に関しては存分に注いでもらったと思っている。食欲を満たされると、次は物欲を満たしたいと思うのが人の常。ただ親もバカではないから、物欲はコントロールされた。欲しいものがあっても簡単には買ってくれなかった。すると子供も学ぶ。限られたものの中で遊ぶことを覚える。それはそれで面白い。物欲がある程度誤魔化されると、次は承認欲求となる。

子供の頃の価値判断基準は、身近な大人でしかない。大人が良いというものが、なんとなく良いと思う。大人が興味を示さないものは、興味を示さない。僕は素直に、マーケティングをしたのだと思う。大人が喜ぶ曲を好きだと言い、いつしか本当に好きになっていった。

思うより子供は狡猾だ。DVに曝された子供の自己肯定感が下がったり、対人関係に難が生まれるのは、身近な大人が承認する行動が「黙る」とか「感情を殺す」とかだと判断するためだろう。育てたように育つ。育てていなくても、大人の生き様趣味趣向を見て、勝手に子供は育っていく。

 

僕は親の姿を見て、親の好きなものを好きになっていった。それは親にとっては良い育て方をした証左でもあると思う。感謝したい。

しかしもう育てられる一面だけで生きてけるわけでもなく、育てる立場になる可能性だって大いにある。果たして僕のどんなところを掬って育っていくのだろうか。また、どんなところを嫌がって価値観を育んでいくのだろうか。それはそれで楽しみであったりする。

 

やさしかった 恋人たちよ

ささやかなこの 人生を

喜びとか 悲しみとかの

言葉で決めてほしくはない

喜びとか悲しみとかを歌う歌は多いけれど、それだけが人生じゃない。

情操教育、かくあるべし。

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