この間羽田の国際線に走って行った。
世界の玄関口に自らの足で出向き、出発ロビーを超軽装で闊歩して帰って来るだけのことだったが、チケット買って走って羽田にこれば飛行機乗って海外行ける不可思議さに心震えた。世界は狭い。
会社の同期には海外大好き人間が多い。育ちのよろしい方々が勢ぞろいしている環境だったりするので、二泊三日といえば昔住んでたからといってシンガポールだベトナムだ台湾だマカオだとぴょんぴょん飛んでいく。横目にお家で体育座りをしている人間がここにぽつねん。
そんな海外大好き人間たちと旅行の話になった際よく話すのが、僕のルーツを探る大冒険の話だ。目には目を、旅トークには旅トークを。部活だなんだと言い訳つけて長期旅行をほとんどしてこなかった僕の、唯一の旅行。一週間ちょっとの期間だけれどもプレシャスな一人旅。
皆、興味深そうに聞いてくれる。そして口を揃えて、それだけ動けるんなら海外なんてバンバン行ってそうなのにね。行けそうなのにね。と言う。
動機付けの問題だと思う。
ルーツを探す旅行もそうだった。
建前上は一族の中で自分だけ身長が高い理由が知りたくてと話しているが、そんなことよりも自分の先祖に大変な興味があった。北見の祖母の家にでかでかと飾られた曾祖父母と祖父の写真。小さな頃からしげしげと眺めては、どんな人だったのかと考えを巡らせていた。どうやら立派な人だったらしいけど、実際どうなのか。生家に乗り込んだら何か分かるのではないか。個人的な興味を後押ししたのは今は亡き北見の祖母を始めとする地元の面々である。何十年と会ってない親戚衆。誰かが核にならないと付き合いなんて簡単に薄れてしまう。カサカサになってきていた付き合いをなんとか繋ぎとめたい。
内発的動機と、外発的動機がうまく噛み合わさって、僕は見事に旅行に出た。
しかし海外はどうだ。
誰も待っている人もなく、別にスペシャルな興味関心があるわけでもない。漠然とした「見識を広げたい」欲求では、なかなか動かない。なんとなく痩せたいだけじゃダイエットがうまくいかないのと一緒だ。モテたい、あの人と仲良くなりたい。内発と外発の動機が両輪噛み合わさって、人は爆発的な力を出す。
僕を日本から引きずり出させる両輪があるかなぁと考える。
ドイツに従姉妹がいて、わけあって疎遠になってしまったのだが、もし次にむちゃくちゃ馬力を出すとしたらその従姉妹たちとの関係をもう一回始めるときだろう。
キーワードは人なのだろう。
アムステルダムのチューリップも、台湾の食べ歩きも、オーストラリアのコアラも、マチュピチュも、どれも間違いなく行ってみたいし見てみたいけど、ぶちかましていくほどの動機にはなっていないのは、多分人が関与していないからだ。
誰かと行く、何かを楽しむ旅行よりも、誰かに会いに行く旅行や誰かを見つけに行く旅行に僕は価値を見出すらしい。
もったいないくらいに晴れた空の下、満開の桜を見ながら、うじうじ考えた。
どこにも行けない彼女たち 駅の改札を出たり入ったり
変われない明日を許しながら なんとなく嘘をつくのさ
16のリズムで、空を行きたい。