徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

雨降って

昨晩窓の外が荒れていた。風に乗って猛スピードで窓に雨粒が突っ込む。雨粒の雨粒としての人生が終わっていく音を聞く。その風は神風なのだろうか。

二つ前に住んでいた世田谷の家。木造のアパートだったもんだから雨風物音寒暖にはめっぽう弱かった。強風のせいでぶるぶるぶると震度3くらい余裕で揺れる。雨音はほっぺに叩きつけられているかのような激しさで、カミナリが近所の森に落ちた時なんかは5センチくらい宙に浮いた。冬の朝、室温は3度まで下がったかと思えば、夏日中には37度まで上がる。ほぼ外と変わらない気候だった。

何年か前の記憶をなぞりながら、雨音とともに眠りに落ち、起きてみたらなんてことのない快晴。ここのところ暇を見つけて走っているもので、今朝もいつもの公園まで駆けた。昨晩の暴風雨はものの見事に空気中の埃を落とし、花粉にまみれた最近ではまず無いほどに澄んだ空気が広がっていた。


雨降って地固まる、雨の後に虹かかる。明けない夜も出口のないトンネルもない。

しんどい日々を過ごしていると感受性がそれこそ雨後の筍のようにむくむくと育つようなのだが、最近は特段苦しみ抜いているわけでもなく、雨めんどくせーなー、晴れて良かったーくらいの感想しか抱かない零細感受性人間と化している。

春の日差しを遮ることのない空気。気持ち良さや心地よさは感受性の壁をいとも簡単に越えてくる。こういう日と巡り合うために走っている気もするし、こういう日はスピード出し過ぎて酷くバテる。


陽気は長く続かず、もう曇天もいいとこ今にも雨が降りそうである。今朝が本当に嘘のようだけれど、体は疲れているのでやはり嘘ではないようだった。