徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

火種のパイプ化問題

これが最近めっちゃ面倒くさい。

自分がやりたいっていってぶち上げた企画があり、時間と熱意を捧げて成功へと邁進している。いよいよ形になってきて、さて蓋を開けてどこまで人が集まるやら、商売が繁盛するやらとワクワク半分、ドキドキ半分の大変生産的な気持ちでいる。

今回、火種は僕である。

なんか面白いことやってって偉い人から仕事を振られたのだが、それ以後、企画立案から取引先引っ張ってきて話を詰めて形にして広報に至るまで、火種として周りを延焼させてきた。火種が燃えているとある程度周りも応えてくれる。やりたいことやりたいといって周りが動く幸せさと言うのを感じつつ、動いていただけるような仕事をしなければならないなと褌を締め直している。

さて、この火種であるが、取引先を焚きつけ、当社の関係各所に延焼が広がったあたりからはどうも調整役になる傾向があるらしい。

僕は下っ端だ。どうしようもなく。

だから僕のやりたいは上司のダメに掻き消される。会社的な判断の際、僕に与えられた裁量はあまりに小さい。それでもやりたいことはやりたいで踏ん張るんだけど、決定権がない以上適当なことも言えず、自分の思いをちょこっと乗っけた伝令に成り下がる。

これが切ない。

昨日は裁量がないことによる気楽さを綴ったが、本件に関しては真逆だ。裁量がなくて苦しい。悲しい。会社的な価値観を養成していると言われればそれまでなのだが、僕の正義は僕の正義だ。絶対に儲かる道が開いているように見えるのに石橋を叩くのは辛い。渡ってみて怪我したらそれまででいいんじゃないか。怪我をたくさんしてきた人間が危機を察知しているのだから沿った方がいいのか。どうなんだ。

 

結論、偉くならないと何もできない。裁量を与えられないと判断もできない。判断ができないから決められず、怪我もできず、怪我しそうだけど儲かりそうな道も歩けない。

いいんですけどね、まぁ。