徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

よく通った店のマスターに会ってきた

突然電話が鳴った。スマホを見てみると、しばらく行っていなかったインド料理屋のマスターの名前があった。一時期足しげく通ったのだが、引越しで錦糸町を離れたこともあり相当ご無沙汰してしまっていた。ひとたび足が離れると再び行くきっかけを掴むのが難しい。ずるずる行きにくさを引きずっていたところだったので、マスターからの電話は嬉しかった。

「最近どうしてんの。元気?来てくれないのさみしいじゃん。待ってんのに…え?引っ越したの。どこ?蒲田。え〜来にくくなるね〜。実はね、うちも移転したんだよね。今新小岩に店があるんだ。よかったら来てよ。ね、来てよ。」

マスターからの唐突な電話は、移転報告を兼ねてのものだった。どういうわけかは聞かなかったけど、どうあれ移転したと。で、久々においでよと。

何かの縁でもないけど、せっかく電話もらったのもあるし、電話があった翌々日に会いに行った。新小岩まで。

 

御年68歳のマスター。半年強会っていなかったけど、全く元気そのものだった。新しい店も前の店の印象を何処と無く残しているような内装で、いい雰囲気が出ていた。

通っていた頃から、僕はよく店の手伝いをしていた。インストアライブがあると言われれば、机を運び出し、楽器のセットをし。ホールスタッフが足りなければホールになり、客引きをして欲しいと言われれば客引きをした。それもマスターの人間性によるもの。彼は自分の懐に人を入れるのが驚異的にうまい。なんとなく可愛げある人懐っこい声で頼むよ〜〜って言われたらやってあげたくなる。

この度の訪問でもほとんど僕はスタッフだった。というか、コックさんが体調不良で休んじゃってて開店休業状態。晩酌のアテはセブンイレブンのお惣菜と、向かいの居酒屋から取ったおつまみだった。インドカレーとはなんだったか。そんな中でもお客さんはポツポツやって来る。常連らしいフィリピンパブのお姉さんにチーズナンをテイクアウトしたい言われれrば、たまには違うの食べなよ〜ってごまかしながらマスターと二人でサンドイッチを作って提供した。カレーばっかりは作れなくて諦めてもらった。

チーズナンが食べたくても特製の(物は言いよう)サンドイッチで満足してくれる人がお客にいるあたり、場所は変わっても流れてる空気感とかは変わらないもののようだ。マスターがマスターである限りは。

 

雰囲気とかお客さんとの空気感とかは変わらなかったけど、商売の風向きは変わっていた。セブンイレブンのつまみと、自分たちで作ったサンドイッチを食べながら、ポツリポツリと話した。

 

前の店は家賃が高くて出た。新しい店は家賃がだいぶ下がったけどお客さんが全然来ない。まだ焦るタイミングじゃないんだろうけど、大家さんとの折り合いが良くなかったりする中で思い通りの店づくりができなくて、それもお客さんがなかなか来ない原因の一つだと思っている。本当は近所の店に行って親交を深めたいし、そこでお客さんを作りたい。けど、今はその一万円が惜しい。

 

生々しい話だった。家賃、コックの給料に材料費。どれだけ純利益が残るのかわからない。

 

お前が電話出てくれて嬉しかったんだ。会いたかったのもあるし、一人でもお客さんを増やしたかった。今回はコックがいなくて本当に申し訳なかったけど、また来てほしい。歓待するから。

またくるよ、もちろん。

インドカレーもそうなんだけれど、結局はマスターに会いに行っている。場所がたまたま彼の店なだけ。カレーがないのも、自分で料理するのも問題じゃない。月一くらいで顔をだすって、約束もした。

 

藁をも掴む思いだったのかもしれない。マスターは少しずつ追い込まれて行っているようだった。彼の人生は僕がこれまで出会った誰よりも起伏が激しく、アメリカで餓死そうになったと思えばポルシェに乗り、ポルシェに乗ってた時期もあればデリヘルの運転手をしていた時期もあるという。懐の深さとか、底知れなさは多分そうした人生が形作っているもので、あらゆる起伏を乗り越えて70才になろうとしながらもまだ商売に苦しみ、それでも人と笑っている。素敵だし、残酷だ。

この何年間か、僕は普通にサラリーマンをしていて、当たり前のように今日も明日も来年も働いている気がしている。でもそうじゃない。どんな人生もあり得て、一ミリとか一寸とか、たったそれくらいの差でちょっと苦しくなったり楽しくなったりする。錦糸町の頃は良かった。今は苦しい。でも引き出しはまだまだあるからこのままじゃ終わらない。素直で人間っぽい彼からは多くを学ぶ。

 

とかく、こき使われがちなんだけれど店にとっては大切なお客様だと思うので、無理のない程度に顔を出していこうと思う。