徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

どうせ金払ってんだから楽しくやりたい

金払ってやってんだから物言う権利あるだろ!って、文句の典型だ。「金払ってやってんだから」を盾に、横暴な主張を通そうとする輩ども。成敗してやる。

でもまぁ気持ちはわからないでもない。お金払って、正当な対価を得られなかったと感じたら、「金払ってんのに」と思う。それはいたって正常な感情だろう。声を大にして言うか、心の奥に一旦しまって後日吐き出すのか違いはあれど、誰もが感じる。言わなきゃわからないし、言ったら角が立つ。難しいものだ。

考え方を少し変えてみる。「金払ってやってんだから」の論理は、「金払ってる」ことにより顧客が主導権を握っていると言い換えられる。サービス業なんかは顧客のリズムに合わせて会話をする。まさに、顧客が主導権を握っている。

何が言いたいか。顧客が主導権を握っている以上、その場の雰囲気ないしは幸せの総量を決めるのは顧客に委ねられている、ということだ。


僕はタクシーに乗ると、大抵ドライバーさんと話す。美容室もそう。たまに行くマッサージとかもそう。そんなもんだと思ってたけど、多数派ではないらしい。最近知った。

ドライバーさんや美容師さんとコミュニケーションを取ろうとする裏には、どうせ金払ってんだからお互い楽しく時間を過ごしたい気待ちがある。相手が全く乗ってこなかったら別だけど、サービス業に従事する方々は大抵会話を好む。心のどこかでは喋りたいと思っている。僕も喋るのが好きだ。だったらなおさら、喋った方がいい。その日1日が終わったときに、あのお客さんを乗っけてよかったって感じてくれたらいい。


どうせ金払ってんだからそれくらいはしたい。