徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

W杯です

せっせせっせと観ている。

1998年のフランス大会が確かに覚えている一番古いW杯だ。まだ建ったばかりの実家。僕は幼稚園に通っていた。両親ともにスポーツ観戦が好きで、日本が初めて出場したW杯を熱心に観ていた。僕の記憶にあるのは日本代表の姿ではなく、決勝戦だ。フランスとブラジル。青と黄色の対決。一階で両親が観戦しているのを、僕はベットの中で気が付いた。サッカーだ。決勝戦だった。思い出して階下に降りた時にはジダンのヘッドが決まっていた。勝負はもう決まっていた。ブラジルこそ最強のチームで、負けることはないと頭のどこかで考えていた少年に、フランスの勝利というのは衝撃的なものだった。2年後、そのフランスがユーロ2000でも勝ち、最強だと思った束の間2002日韓のW杯でグループリーグ敗退を喫し、盛者必衰の理を学んだのは記憶に新しい。

それから20年。

早起きをするほどの気力はないものの、サッカーを観ている。一緒に観る人いたらいいなと思いながら、好き勝手独り言呟いて観るサッカーも悪くはないと感じている。傍にiMac、傍にAQUOS。誰得なのかデュアルモニターである。目は二つしかないというのに、観ながらパタパタ文章を書いている。

気づけば各チーム、同世代が主力を務めている。サラーにポグバ。20年前に観ていたイエロは代表監督になり、ジダンもレアルを率いた。なんだろうか。サッカーを観ている時ほど時の流れを感じることはない。あと5回、多分こんな感じでW杯を観た時、僕は果たしてどこで何をしているのか。その頃多分ハリケーンあたりは監督になって、ムバッペはチームの精神的支柱とか言って召集されるされないで物議を醸している。

幼稚園で観たあの日が確実に今に繋がっているし、今は確実に2038年のW杯に繋がっている。サッカーだけは変わらずそこにある。

ほんと、一人の観戦は余計なことを考えるからよくない。W杯のたびに成長して、老いて、出会って、別れる。ほんとよくない。

ディマリアが寂しそうなのでもっとボールあげてください。