徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

サッカーの懐深すぎ問題

日本が勝ちました。やったね。僕は仕事が忙しかったり飲み会という名の会議に出席しなきゃならなかったりで観られなかったのですが、やっと今落ち着いて、宿敵となっていくであろうポーランドとセネガルの試合を心穏やかに観戦しています。

 

ここまで、多分半分弱の試合に目だけは通していると思う。初戦こそボソボソ試合だったけれど、概ねキリッとした試合が多い印象で非常に観ていて疲れる。面白いけど胃もたれするような試合が多い。

 

サッカーはラッキーパンチが多いスポーツと言われる。「〇〇の奇跡」みたいな突発イベントが起こりやすい。対して、アメフトとかラグビーとかはほとんどラッキーがないスポーツとされる。だからこそ南アフリカ戦のジャイアントキリングがインパクトある試合となっているわけだけども。

ある程度実力通りにいくラグビーと、そうではないサッカー。するとサッカーでどういうことが起こるかといえば、全部がサッカーらしい出来事となる。

例えば。

堅守速攻のチームがパスサッカーのチームを攻略したとしよう。僕らはどう言った感想を抱くかといえば、「これがサッカーだよなぁ」って思う。

また、パスサッカーでロマンを追ったチームが堅守速攻のチームをボコボコにしたとして、僕らは何を思うかというと、「これこそがサッカーだよなぁ」って思う。

幾度となくゴールを脅かされながらもすれすれのところで逃げ続けて、たまたま放り込んだロングボール一本がFW1に当たってコロコロ入っちゃったとしても「これがサッカーだなぁ」って思うわけだし、引退試合でジダンがマテラッツィをヘッドで倒して一発レッドを食らっても、メッシがバッジオが駒野がPKを外しても、「これがサッカーだよなぁ」って思う。

なんだこの懐の深さは。なんでもありじゃないか。贔屓のチームが勝つも負けるも、有名選手が活躍するもしないも関係ない。あらゆる可能性、あらゆる出来事に対して、「これがサッカーだよなぁ」が通じてしまう。そりゃ、サッカーという舞台の上でみんなが踊っているのだから当たり前といえば当たり前なのかもしれない。それでも、それでもだろう。

 

考えてみれば、イチローがそうだ。

メジャー3000本目の安打を彼がどう飾ったかご存知だろうか。彼は三塁打で3000本目のヒットに華を添えた。非常にイチローらしいなって思うだろう。

これである。

仮にイチローがホームランで3000本目を飾っても、右中間を破る二塁打でも。ライト前ヒットでも。内野安打でも、セーフティバントでも、きっとイチローらしい3000本目になったに違いない。これが懐の深さである。

 

大胆に解釈すると、誰もがイチローになれるスポーツがサッカーだ。イチローは彼の競技人生を捧げて、あらゆるヒットを自分らしいヒットとしてきた。サッカーも同様だ。連綿と続いてきたサッカーの歴史が、あらゆるパターンのサッカーをしらみ潰し、誰がどんな動きで活躍をし、どんな結果が生まれたとしても、それはサッカーらしいのである。サッカーがサッカーである以上、サッカーでしかありえない。

This is soccer.

That's all.