徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

だから、同期とは。

今の今まで、同期と飲んでいた。

同期同期とはいえ、至極仲のいい同期が何人かいて、そいつらとは諸々を超越して飲み明かしては後悔するような日々を続けていたのだが、今回は久しく結構な数の同期が集まりあっての会だった。

最初の最初からおらが城で商売をするでもなく、世に言う企業に勤める経験を持ち、同期を持つということは本当に意味のあることなのだと思う。大企業に横並びで入社し、同じようなことをやらされながら次第に分化していく。あいつはあんなことをやっている。こいつはこんなことをやっている。俺はこれをやっている。男性的な比較かもしれない。幼くて情けない比較かもしれないけど、他山の石ではない生きた石がそこにはあって、石の形や輝きに悔しさと安心を覚えながら自分の商売をやっていく。

諦めでもなく憧れでもない存在が同期であり、考え方ひとつでどんな人生でもあり得ると思わせてくれるのが同期だ。みんなと一緒に商売をやれてよかったと思う。平たく。


企業に属する人としてどう生きるか、人としてどう生きるかの勝負だ。いや、勝負ですらないかもしれない。比較すらも出来ない人生を並べているだけかもしれない。それでも僕らは横並びで、勤める限りは比較をされていく。それでいい。なんだっていい。勝つ気で戦うし、別に戦う気もない。負けない気で働くし、負けるかもしれない。そんな諸々を乗り越えて、人として認め合えたらいいし、人として認め合うことこそが一番尊いと思う。

こんな思いにさせてくれる同期で良かった。

ほんと、それだけです。