徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

自主的な成長を促すなんて無理です

自主性を重んじるとか、主体性に任せるとか、自由闊達な議論を望むとか、それで円滑に仕事が回るのかといえば、全くもってそんなことはない。自主性がある人間なんて、自主的に頑張ることで人生が面白くなることを知っている人だけだ。そんな人種は稀有で、大抵の人間は自主性なんてない。別になくたって人生やっていけるから、備えなくてもいいのだ。

でも大抵出世する人間は自主性があって、言われずとも現状を憂いて課題を炙りだしてゴリゴリやっていく。っていう頭でいるから、自主性を重んじるだけでスーパーケミストリーが起こると考える。それはある種、ボノボにスマホを与えているに等しい。自主性とか主体性のあるなしって、余裕で天地の差がある。

 

自主性が乏しい軍団を動かすにはどうすればいいか。そのためには自主性がなくとも動けるように仕向けなきゃいけない。目標を定めて、考え方の枠組みを設定して、それを細分化した一歩目を考える。みんなでこの一歩目を踏み出そう!ってすると、事が動いていく。

とにかく、枠組み・フレームをがっちり固めないといけない。日常業務が枠の中を埋める職種の人が多いと、枠を作る人がいなくなる。枠があって当たり前だからだ。だから漠然とした枠のない仕事を与えられ、自主性に任せられた時、枠の存在に気づかずに自由に走り出すと壊れる。爆散する。バカでもいいからこの枠で考えよう!この枠の中を埋めていこう!って仕事を定める人間が、結構貴重なのかもしれない。