徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

大掛かりサードプレイス

ここ2日ほど、仕事の合間を縫って温泉旅館に通っていた。不定休を貪る薄利業種を生業としている同期連中の休日が合致したため、いざ鎌倉!って言いながら鎌倉も飛び越えて湯河原までひとっ飛び。哀しいかな、至極仲のいい同期連中の休日は合致していたのだが僕の休みだけ美しくも不一致をカマしていた。チャンス逃すのは悔しいからって会社と温泉旅館を行ったり来たりする2日間。旅館出勤だ。休んでいるのか、はたまた働いているのか。そういや友人の、10キロを27分くらいで走っちゃうスーパーランナーが、「走りながら休む境地」について話してたことがあったけど、一歩その境地に近づけたような気がした。

昼は仕事、夜は飲み明かし、朝早く仕事。地球の裏側開催のオリンピック観戦スケジュールのごとき過密日程。つかの間のつかの間だとしても猛烈な自然と潤沢な湯に包まれて、日々知らぬ間に乾燥していっているのを思い知らされた。別に仕事も楽しくやれているし、自宅もほぼ完璧な自分好みの空間。周りの人にも恵まれている。そこそこなストレスをそこそこに昇華しながらやっていっている日々だ。特に不自由はない。不自由はない毎日だからこそわからないのだろう。日常とあまりにかけ離れた自然と触れると、無性に日常が哀しいものに映る。

最近の旅行は、意味のある旅行ばかりだ。旅行のための旅行に、久しく行っていない。ただのんびりしたくて、ただ日常から離れたくての旅行。友達と日程を合わせて、旅行したいねってする旅行。冠婚葬祭にのようなのっぴきならない出来事に捉われない純粋な旅行が、もしかしたら必要なのかもしれない。

スタバがサードプレイスを標榜しているのは有名な話だ。家でも職場でもない場所。それは、旅行も一緒だ。あぁ、また行きたい。サードブレイスを知ると、サードプレイスが無性に恋しくなる。ずっと居たらくどくなるかもしれない場所も、サードプレイスだから美しい。

すっかりと、日常がまた回り出す。ファーストプレイスで、やはり生きる。