徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

こんな日ですが誕生日なんですよね

昨日の最終便で北海道を擦り抜け、仕事への期待と不安と憂鬱、東京の気候への憤りを抱えながら夜更かしもそこそこに眠りについたのだけれども、知らぬ間に北海道全体がえらいことになっていた。

誕生日の朝、起きたらみんなからたくさんの連絡が寄せられており、それら全てが安否の確認だった。ご心配いただき、ありがとうございました。心配をよそに丸26年、生きております。しかし、北海道。平気で知り合いがゴロゴロいるあたりの地域の地面が根こそぎひっぺ返されていたりして、全然笑い事じゃない。実家は強固な地盤で噂のオホーツクは北見市なのでほとんど揺れていないのだけれど、例に漏れず停電しているようである。携帯も繋がりにくい。声をかける心配や見守る心配、情報の提供や物資や資金面での支援。色々形があるようですが、僕は文章を書きます。給水、充電、通電とTwitterで有益な情報が飛び交う中、誰にとっても益にならない情報が一滴落とされてもいいのではないか。これしかできない。

 

さて、誕生日の夜なのだが、ここ最近の喧騒が嘘のような静かな夜である。テレビを消し、スマホとおさらばしてしまえば、そこは僕だけの空間となる。アマゾンで買った漫画を読み、電子ピアノを買ったために大金を迫られたカード支払いのせいで口座残高が空転しているのを儚みつつ貯金を崩し、貯金を崩したからにはとピアノを叩いて曲の破片を集めては形にする。連休前から連休突入まで、ずーっと酒を飲んでは誰かと会ってきた。心の底から望んでいたのは確かにこういう1日だった。ぽっかり空いた誕生日プレゼント。しかし不思議なもので、人と会い続けると人中毒になる。薬物がなかなかやめられないように、人といるのもなかなかやめられない。少なくとも、望んでいた1日を過ごしてみたはずなのにとても寂しい。大学の頃の、陸上と向き合っていた日々を送っていた頃の僕が、もしかすると一番孤独に強かったかもしれない。孤独は一番の創作の友だ。実家に帰った時に昔作ったCDを聴いてみたのだけれど、驚くほどいいメロディーを書いていた。それも一曲や二曲じゃない。余ったエネルギーを全部投入していたのだろう。金もないから機材もない6畳で10代の自分が奮闘していた記録と記憶。あの頃は確かに孤独を飼っていた。孤独を飼い慣らして、曲を作っていた。

このまま2週間くらいまた幽閉させてくれるのであれば寂しさは孤独に溶けていき、なんでもなく一人を貪れるようになるのだろうが、悲しいかな明日から僕は歯車である。新部署に行くので、追い出し会やら歓迎会でまた忙しくなる。誰かに受け入れられ、別れを惜しまれるのは嬉しいことだ。形だけだとしても本当に嬉しい。

あらゆる人に頼って生きている。それは仕事の面ではなく、私生活だとしても。ウマの合う人、優しい人、好きな人。恵まれているとも思うし、恵まれていると思える環境を作れて良かったとも思う。では、安心感じゃない本当の安心感とはどこにあるのだろうか。夜な夜な続いた飲み会が一瞬止まったくらいで寂しさを感じる程度の安心感は幾ら何でも情けなくないだろうか。

 

忙しくなる承知で、うまく自分を立て直したいと思う26歳。でもあれだな、本当にそんな感慨なくて大した文章書けないな。25歳の一年が少しだけ人生が加速して行くヒントを掴めた一年だったので、引き続き頑張ってやっていきます。