徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

町内会のお祭りの思い出

吹いて来る風を探せば秋の風を見つけられなくもないけれど、東京の夜はまだ夏だ。熱気と湿気は未だ健在で、肌とシャツやズボンをひたひたにくっつける。全くもって不快である。

駅から家までの帰り道に少し大きめの公園がある。遊具いくつか置いてなお、走り回ったり簡単なサッカーができるくらいの公園だ。ベンチに当てどないおじちゃんが座っているトイ面で子供達が駆け、保育園児の集団が遊具に絡まりつく。公園ではそんな日常が流れている。

 

今日は僕は結婚式に出席していた。よく髪を切ってくれていた美容師さんの結婚式に、お客さん仲間と共に参加してきた。両家同士が仲良くて、二つの家がくっつくことが結婚なんだなぁと改めて考えさせられた。

挙式、披露宴、二次会と一日中酒を飲んだものの珍しく早く解散し、最寄駅に着いた。酒を飲むのは楽しいが確かに疲れる。今日なんかは新郎新婦それぞれの友人が出席者の殆どで、お客さん枠では僕含め数人しかいなかった。アウェイな中でも楽しくやったがやはり酒は不可欠で、気疲れと飲み続けたための疲れがジリジリと迫っているのを感じながらの家路であった。

公園に近づく毎に子供の声が聞こえてきた。

お祭りをやっていた。

具体的に何のお祭りかはわからない。けど、普段はあまり見ない数の人が公園におり、子供達はそこかしこで花火をしていた。夜には不釣り合いな甲高い子供の声が響く公園を通りすがりながら、ふうっとフラッシュバックしたのが、地元の町内会のお祭りの光景だった。

 

僕が住んでいた町内会では、毎年夏に公園で焼肉パーティーをやっている。

北見市は焼肉が盛んで、人が集まるとか宴会といえば何かと焼肉パーティになる。もれなく町内の集会でも焼肉。今となっては町内会員の減少と高齢化で日中の宴会になったのだが、15年くらい前までは夜の宴会だった。

真夏の日曜日、町内のお父さんたちがテントを設営する。瓶ビールが入っているケースをひっくり返した上にダンボールを敷いて椅子を作り、グリルを並べる。その間、お母さんたちは豚汁を作る。

子供達が焼肉パーティーをどう見ていたかといえば、一年に一度、一日中遊んでも許される日だと捉えていた。親たちが日中から会場設営に躍起になり、夜は宴会に夢中になる。その間子供達はいい意味で放って置かれる。焼肉も豚汁も楽しみだったけれど、日中から夜までずっと遊んでいられるのが何より楽しみだった。

誰かの家に集まってテレビゲームをしたり、外に出て鬼ごっこをしたり。普段は帰らされる夕暮れから夜にかけては町内で肝試しをする。同じ公園、同じ町内でも、夜になっただけで見たことのないものになったみたいでワクワクしたものだ。

 

本格的な少子化が始まる頃に生まれたような僕らの世代。町内の公園に行ったら誰か彼か友達がいて、焼肉パーティーの日には揃って夜遊びをする。一人っ子の僕は多分あの町内の付き合いを通して社会性を学んだ。子分としてくっついていった頃から、次第に親分になっていく過程。遊びを通して、人との付き合い方を知った。

もうなくなりつつある光景や文化なのかもしれないけれど、東京の公園で元気にお祭りの夜に遊ぶ子供達と横で飲む大人たちを見て、どこか懐かしい気持ちになった。

そういった感想を抱いた家路でした。