徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

原点回帰としての本作とJAM、素直な作曲

久々に曲を作りました。

youtu.be

 

別に温めていたとかではなく、ふわっと作ってふわっと形になって、ふわっと録音してあげた。相変わらず編曲とマスタリングばかりはふわっと出来ないし、頑張ってやってもこんなもんだった。

 

毎回毎回、いい曲できたなぁと思いながら曲を作ってる。10年前も、今も、最新作が最高傑作のつもりである。

ここのところ作った曲はどちらかといえば言葉遊びに重きをおいて作ったようなところがあった。他人が一回読んだだけでは、何を言わんとしているのかわからないような歌詞を書いて、ややこしい言い回しと語呂だけはいい言葉の中に本心を隠した。

自分としてはそれでいいし、究極自分のための作曲なので一向に問題はない。けど、主に身内の熱心なリスナーたちが最近の曲はわからないと言うので、ちょっと反省をしていた。

確かに、昔の曲は大変に聞きやすかった。明快なメロディーと、少ない音数。技術は全くなかったが、曲を作るのが好きな人が一生懸命作った感じは受ける。

色々考えてみたのだけれど、作曲ツールの変遷が原因なのではなかろうかと考えた。

かつてはギターを抱えてふんふん口ずさみながらメロディーを紡いで、メロディーに言葉を突っ込んだ。だけど、最近はパソコンの前に座るところから始まる。とにかく色々なドラムビートを流して、シンセをピロピロしながらビートができていく。それに言葉を突っ込む。曲ができてから詩を書くのは同じなんだけど、電子音が流れている中の作詞とアコギを持って口ずさんだ語感を持ったままの作詞は、僕にとっては意味合いの違うものだった。なんの証左にもならないけど、最近の曲はアコギじゃ弾けない曲が多い。

 

一方で本作はアコギでふんふんして作った。

これがまぁびっくりするほど久々の感覚だった。オーガニックって感じ。もう、超オーガニックって感じ。楽しくふんふんしてたらメロは簡単にできてきた。反省を活かして、歌詞もなるたけ言葉の数を少なく素朴なものにした。言葉の数が多いと状況説明や言葉遊びは捗るけど、何かが損なわれる傾向があるらしい。それは趣なのかなんなのか、わからないけど。

 

こうして懐かしい曲ができてきたわけだが、言ってしまうとこれはJAMである。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

普通ならうまく逃げられるところなんだけど、ハチロク+C+カノンコード=JAMの法則には全く抗えなかったので、素直にJAMにしてやった。どうしてもディストーション効いたギターのアルペジオを入れたくなっちゃったり、オルガン入れたくなったり。呪縛は強かった。Aメロのコード進行が手グセで若干の抵抗を見せている。それくらいしか違いがない。

 

 

結論、素直に歌詞書いて、勝手に口から出てきた気持ちのいいメロディーを形にできたので、ほんとそれだけで満足です。