徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ニラ玉

今日昼、中華料理屋に行き、僕はニラ玉を頼んだ。特に好きなわけではない。今日のサービス!ニラ玉680円!そんなに言うならと頼んだ次第だった。

ニラ玉。そこにはニラと玉子としか表記がない。ニラ玉であるためにはニラと玉子さえ入ってれば良く、それ以外に例えキャビアやフォアグラが入っていようとそれはニラ玉にとっての異物でしかない。とはいえ、僕がこれまで食べてきたいくつかのニラ玉は、なんだかんだ豚肉とかが紛れ込んでいるものが多かった。大枠でのニラ玉ということである。ニラ玉−ニラと玉子と時々豚肉−みたいな話である。

だが、今日のサービス!ニラ玉680円!は違った。純度100パーのニラ玉だった。異物ゼロ。ニラと玉子。けどニラと玉子のパワーバランスでいうと、ほぼほぼ玉子。中国における共産党員が玉子。そのほかがニラ。本当にそれくらいの割合で玉子。ここまで来るとちょっと話が違う。玉子とニラを並べ立てて「ニラ玉」と呼ぶこと自体がどうなんだ。少なくともこちとらニラと玉子のシンフォニーを期待してニラ玉を頼んでいる。なのに真っ黄っ黄。玉子炒めとしてもらいたい気持ちである。玉子炒め-時々ニラ-としてもらいたい気持ち。浅ましい僕はニラ玉プラスで豚肉すら望んでいたのに、出てきたのは玉子炒めだ。許容しがたい。肩透かにあった気分だが、ニラ玉−ニラと玉子と時々豚肉−よりは余程ニラ玉なものだから文句は言えない。

あぁ、なるほどプラトンもニラ玉からイデア論を組み立てたか。本当のニラ玉とは。そもそも、ニラ玉とは。

今日も世界は平和でした。