徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

甲州街道

今日、久々にTSUTAYAでCDを借りた。大学生の頃は狂ったように仙川の駅前にあるTSUTAYAに通って、1週間レンタル10枚1,000円の恩恵に預かりまくっていたのに、ここのところトンと借りなくなっていた。何が原因かはわからない。わからないんだけど、借りなくなってから聴く音楽の幅がぐうっと狭くなってしまったのは確かだった。

1週間ぶりに休みをもらった今日。平日の夕方、皆が会社から帰ってくる直前の住宅街に、溜まったストレスを吐き出すかのごとくギター片手に歌いまくった。指が赴くまま、声が導くままに時間を過ごし、坂道を転がるかのように加速した音楽への希求は僕をTSUTAYAへと突き動かした。

薄暮の大田区をチャリは走る。少し離れたところにあるTSUTAYAへ滑り込み、たっぷり30分物色したのち、1週間レンタル4枚1,000円でアルバムを借りてきた。仙川よりも物価が相当高いなぁ。でもこちとらサラリーマンだから気にせず借りてきた。

薄暮から、気づけば日がくれた大田区。家に急ぐは第一京浜。

すうっとフラッシュバックしたのは、大学生の頃よく走った甲州街道の景色だった。

 

そう、僕はかつて京王線の仙川に住んでいた。

最寄りの幹線道路は甲州街道。辿っていけばそれこそ甲州まで連れていってくれるらしい。甲州街道沿いの大学に通っていたので、定期は買っていたものの晴れた日であればチャリで30分くらい漕いで大学まで行くこともとても多かった。

大学生は皆バイトをして、思い思いの出費をする。中でも自転車を買う人はとても多かった。大学の駐輪場にはロードバイクが軒を連ね、肩掛けカバンやリュックを背負ったお兄ちゃんたちが颯爽とスタイリッシュな自転車を乗り回していた。

僕はあいにく部活の関係でバイトをしていなかった。すればよかったんだけど、保守的だったんですかね、しなかった。だから出費も多くはできない。4年を通じての大きな出費を考えたら、ギターを買ったくらいではなかろうか。ほとんど買い物をしなかった。

そんな人間が乗り回すチャリはもちろんママチャリである。

カゴ付きのスタイリッシュとは程遠いママチャリ。十分乗りやすいのだが、駐輪場に並んでいると欧米人の中にひとり江戸時代の男性が混じっているようなダサさがあった。

でも、なんかわからない負けん気が僕にはあった。スピードだけは、早さだけはロードバイクに負けたくなかった。普通に考えたら勝てるはずがないのである。カナブンとヘラクレスオオカブトが戦っているみたいなものなのだ。勝てないだろう。推進力もおしゃれさも叶わないけど、そこは気合いでなんとかする。脚力で、なんとかする。

主に負けん気を発揮するのは甲州街道だった。

幹線道路だから交通量は多いのだけれど、基本一本道でスピードも出やすい。ロードバイク連中にとっては格好のサイクリングロード。ママチャリマンからしたら格好の負けん気発揮ロード。

テロテロと自転車を漕いでいた時、後ろからロードバイクが追い越してきたらそれが合図だった。腹筋に力を込め、自転車の前輪を左右に振りながらぐんぐん加速させて行く。時刻は、夕方。等間隔に並んだ街頭を通過するたびに加速して行く。ロードバイクは悠然と走っているが、こっちは汗だくになりながら同じスピードで走る、食らいつく。信号で離されないように、多少の無理をしてでも同じ信号区内で走る。行きの道だとゴールが一緒だから燃える。だが、帰り道だと途中で目標物がいなくなる可能性もあった。でも、関係なかった。膝蓋腱反射のように、僕は前のロードバイクを追ったのだった。

 

夜の第一京浜。信号待ちから自転車を加速させた時、不意に甲州街道が舞い降りた。

大学生のあの頃は、まさか甲州街道を必死で漕いでいたことが思い出になるなんて思ってもいなかった。TSUTAYAで一心不乱にCDを借りていたことも。日常すぎて、特別なことは何もなかったのに、そういったことの方が色濃く思い出になっていく。別に美しくも醜くもない記憶こそ、格好の思い出の餌なのかもしれない。