徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

仕事が出来て行くようになる順番について

ゼロベースで見つめ直す。原点に立ち返り、本質的な議論を。

業務改革だ働き方改革だと叫ばれている昨今においては西から東から様々な聞こえのいい言葉が吹き流れてくる。確かに旧業態的な、「マンパワーと時間をじゃぶじゃぶ使って働く」って考え方だといよいよ儲けが出なくなってきている。顧客の満足を第一に考えた上で、じゃあどんな仕事の仕方がいいのかを真剣に考えている。皆々。

 

働きかたを変えよう、業務を効率化していこう。

こういった前向きな考え方をしなければいけないのはよくわかる。が、現場はどうかと言えば、そんなことはない。目の前に積み重なった諸々を片付けて、終わり。片付けては、散らかり、片付け、日が暮れていく。そこに業務効率を上げようとか働き方を変えようとかの考えが入り込む余地はなく、不払い労働も絶対に禁止だとするともはや前年踏襲の渦から抜け出せなくなるのは自明のことだ。

 

現場が疲弊していく中、会社では業務改革チームが発足し、デジテルなイノベーションを駆使しながら100億くらいのお金をかけながら新たなテクノロジーを授けながら…と前向きに走っている。

理想を言えば、一定レベルの人間が働く職場の現場的な悩みを解決するには現場での解決が最も納得がいくものが出てくるだろうし、その解決方法はおそらく的外れなものではないから、現場の意見が的外れでないことを前提に、お財布ポジションや判断ポジションにいる人間が内容精査と相談の上導入するかどうするかを決めていけばいい。

けど、そのためにはどうしても時間が必要だ。

全力疾走をしながらフォームを気にするのはめっちゃ難しい。余裕がないと細かい部分まで神経が回らない。しっかりとコントロールできる速さで走って初めて、創意工夫が生まれてくる。仕事においての余裕は、時間だ。余裕を持って仕事を終わらせ、じゃあ現行の仕事の流れはどうなのかを反芻する時間を設けて初めて発展的な考えが動き出す。

こうなると鶏が先か卵が先かって話に近くなる。

時間がないから業務改善できなくて、業務改善ができないから時間がなくなる。堂々巡り。そこにトップダウンとマネーの力が介在して、会社的な働き方改革の出来上がりである。

 

個人的な現業務においても、あまり体験したことのないかつ順序のわからない仕事が沢山降ってきて、そんな中で業務改善をしてやろうなんて余裕はない。

ある程度慣れてきて、自分をコントロールして余裕が生まれて初めて、何か新しい動きができてくる。はず。

そう信じてというか、そうならんきゃならんからやって行く。

まじ毎日急き立てられまくりである。果たしてこれはルームランナーなのか、ランニングなのか。景色は動いているのだろうか。わき目を振る余裕すらも、まだない。