徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

段落

昔、それは小学生の頃、国語の教科書を音読するときに段落ごとで分けていた記憶がある。子供用に作られた可愛い文章だ。一段落とはいえ大した文章量じゃない。とはいえ大勢の前で喋るのは緊張感が伴う。恐々としながら自分の番を待ち、自分の分の段落を読み終えたら一安心して他の人の音読をゆっくり聞いていた。


この度、仕事がひと段落しました。

が、しかし、仕事の段落は驚くほどゆっくりできない。何しろ段落が来ても誰かが代わりに仕事をやってくれるわけではない。踊り場に来て立ち止まっているとたちどころに仕事が降ってきて、やれ右にやれ左にとブンブン回していかなければならない。一から十まで責任の中でぶん回す。段落が来ようと次の文章はすぐそこにあり、それも自分で読む。用意された文章で終わりかと思えば、突然何処からともなくアディショナルレトリックが突っ込まれて、また読む。段落は遠ざかる。

これだったらぶっ続けて仕事した方が楽なんじゃ…と考えもするけど、段落がない文章ほど見苦しいものはないことも確かだ。7日あれば一段落二段落あったほうが読みやすい。多分それは、生きやすさと同義だろう。


ひと段落します。