徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

消費について

大抵の活動を、僕らは体力を使って行なっている。体力を使って仕事をしてお金もらったり、体力を使って走ってさらに体力にブーストかけたり。さらにそこには時間も関わる。ギターが趣味なのも、これまでの人生で結構な時間をギターに費やしてきたから今弾けている訳で、時間を使うというか、消費している。

何事もどうやらそうらしい。

何かを使って、僕らは何かを得ているらしい。

これ、大人になってくると変に体力を温存する動きが出てくる。子供の頃は資本が体力しかないからやれ鬼ごっこだやれバスケだと空き地に公園にと駆け回ったものだけれど、日頃の生活に疲れた大人は休日に体力を使うなんて考えない。すると、家から出なくなる。

そんな大人は、お金を消費するか時間を消費するかの二択を迫られる。

買い物に精を出す人、アニメを見つめることに精を出す人。既存の趣味に汗をかく人。

大人になってできることが増えると、漠然と子供の頃に考えていた。事実そうなのだけど、その実は体力以外の資本を持つことで、消費のバリエーションが増えているにすぎない。体力を使ってもいいし、お金を使ってもいい。ただ、時間は少ない。でも大抵のことは体力とお金を掛け合わせればやれてしまう。だから、なんでもできる。けど、子供の頃考えていたように自由自在に好きなことができるといったことではなく、確実に資本をじゃぶじゃぶ使っての、「なんでもできる」だ。

 

時間か、お金か、体力か、経験か、その全部か。

この先の人生を彩るのはこれらの掛け合わせである。その中で何を錬成するか、本人のさじ加減一つである。

明日はおやすみなので何かしようと思うけど、なんだかんだ時間だけがすぎていく気もする。それはそれかなとも思う。