徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

可愛いとカッコいいがもたらす接点

二重がどうした、鼻筋がどうした、口角がどうした、容姿がどうしたとどれだけ突っ張っても、どうしても一生ついて回るはこの身体。カバンやサイフはいくらでも取り替えが効くが、身長体型容姿を含めたボディはなかなかどうして取り替えが効かないものである。

時勢によるものも大きいだろうが、大衆に受け入れられる顔の造形は確実に存在し、知性や特技よりももっと直接脳みそに訴えかけてくる最強クラスの武器として使いこなす人がいる反面、足を猛烈に引っ張られたりもする。諸刃の剣である。しかもこればかりは生まれて育ってみないとどう出るかわからない。結構なギャンブルをやってるわけです、我々人類。


内面の綺麗な人がタイプです。見た目よりも性格重視。

よくもまあ宣ったものだ。どう考えても容姿の第一関門を突破した前提で内面を加味してるに過ぎない。ハジメマシテの段階で即内面にフォーカスできる究極のサイコロジストでもない限り僕らは人の外見をいの一番に見ることとなる。こればかりは仕方がない。しかし、究極のサイコロジストとて、表象している目耳鼻口を無視はできまい。人は見かけが何割とか言う話もあながちである。

内面を見つめるにも外身が必要なのであれば、内面と内面、本質と本質をくっつけるのが外見であるといった見方もできるのではなかろうか。外見が、接着剤となる。


僕の身近にいる偉い人が、乃木坂46のインフルエンサーを評してラテン音楽だと言った。なるほど、ラテンっぽい。サビのベースラインには熱いものを感じる。ラテンを知らなくともラテンっぽいのはわかる。多分偉い人は乃木坂46がラテンっぽい歌を歌わないことにはラテンのラにも触れない。そんな人がラテンっぽい曲を踊り狂う。アイドルの、可愛いの力、容姿の力の証左である。

なんかわからないけど新垣結衣が可愛いからメルティーキッスを買っちゃったり、広瀬すずが可愛いから風邪薬にコンタックを選んだり。容姿は目に見えるもの見えないもの全部をくっつけ、あるときは分かつ。どうしようもないギャンブルに振り回される我々の命運とは。なんと儚いものか。


あぁ、お腹空いた。