徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

人参は生きていた

久々に感動したので書く。

今の今まで大戸屋にいた。黒酢あん定食を食べていた。値上げして、大学時代よく行った当時の大戸屋より少し単価が高くなっていた。

異動する前までは会社にお弁当を作って持って行っていたのだけれど、ここのところはしばらくご無沙汰で、昼ごはんはコンビニだとか、その辺の立ち食い蕎麦とか、適当に済ますことが多くなった。それで致命的に栄養バランスを崩しているわけではないけど、事実として、弁当を食べなくなった。

コスパを求めての自炊だったのだが、お弁当の効果はどうもそれだけではなかったらしい。今日、人参を食べて痛感した。


大戸屋である。たかだか言ってしまえばチェーン店の定食屋。でも、大戸屋の黒酢あん定食に入っていた人参は生きていた。苦かったのだ。少し固くて、でも芯まで熱は通っていて、噛んだらほくっとくずれる。あんの甘酸っぱさに負けない苦さを確かに感じた。

単純な料理に苦味は存在しない。甘い、しょっぱい、甘じょっぱい。ほぼこれだけだ。出汁の旨味すらも単純な料理では単純な味になる。生きている味ではない、造られた味。疲れているときはとかく単純な味を求めてしまう。味を理解することを脳みそが絡むのかもしれない。

しかし、望まずして食べた、生きた人参のことを脳みそは歓迎した。本当に美味しかった。感動した。たけのことか、春菊とか、旬のものを食べた時のあの感覚。オールシーズン旬の人参がこんなにも美味しいとは。

弁当には何かしら旬の野菜が入っていた。旬の野菜は安くて美味しい。今考えてみたら、贅沢な食事をしていたのだろう。

余裕ができたらなぁと思う。旬の野菜を日々食べられたらなぁと、心から思う。人参一欠片に、揺さぶられている。