徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

高橋弘希「指の骨」

読みました。

 

指の骨 (新潮文庫)

指の骨 (新潮文庫)

 

 

ここのところほろほろと、無理のない程度に軽い小説を読んでいる。短編ばかり読んでいるので、特段感想を書き留めるほどのことでもないと踏んで書かないでいたけれど、この本はちょっと書いておこうと思う。

 

戦争小説だ。

東南アジアの野戦病院での日常が描かれる。強烈な銃撃戦があるわけでも、恐怖体験があるわけでもない、淡々とした戦中の生活。個別具体的なエピソードは置いておいて、この小説全体に流れる当然のような死が、どんな戦闘よりも戦争の恐怖を表していたように思う。

登場人物は皆二十歳そこそこの若者である。それぞれに手負い、それぞれの事情で運び込まれてきた熱帯の野戦病院で、傷を癒す。運び込まれた段階で死を待つよりない人間もあれば、一度は回復の見込みがあったのにも関わらず風土病やマラリアに罹かり、やはり死んでいく人間もある。敵はアメリカ軍だけではなく、蚊であり、蠅。

激烈極まる戦線から離れると、日常は穏やかに回る。東南アジア(おそらくパプアニューギニア)の景色が、主人公たちには内地の景色と錯覚する。沢で洗濯をし、水を汲み、原住民との交流があり、穏やかな日常の中で当たり前のように人が死んでいく。陸の孤島のごとき場所に設営された野戦病院には人が運び込まれてくることは少ないが、人は死んでいく。空きの病床が増えていくたびに、戦争が戦闘のような正面からやってくるようなものではなく、四方八方から迫ってくるものだと学ぶ。

そして死は人を選ばない。

主人公の幼馴染で一番優秀だった、誰もそいつには勝てないと思っていた人間がいの一番に戦火に散っていく。それも、敵軍と見間違えて発砲してきた日本軍の銃撃に倒れる。第一線において、能力や技術はほとんど関係ない。運がいいか、悪いか。それだけしかない。

 

平等に、無作為に訪れる死を辛うじて躱した者が集う野戦病院で、また訪れる平等で無作為な死。そして、死に日常がまとわりついて、回る。

戦争を知る世代は若くても落ち着いて大人っぽかったという話をよく聞くが、本書を読んで然もありなんと思った。時間は余っているが、死が近い。自らの死なのか、他人の死なのかがわからない。でも、確かに簡単に、昨日まで元気だった人間が死んでいく。思考の余裕がたっぷりある一方で、死を喉元に突きつけられると人は死生観について猛烈に考え、達観する。抗えないことには抗わず、諦め、老成する。

 

文体や描写もくどくなく、一方で説明に過不足がない。

戦火の中に静かな死は多くなく、戦闘での血が迸るような死や、栄養失調で熱帯の中行き倒れたグロテスクな死、熱に浮かされ気が狂って夢も現もわからない中での死が交錯する。それぞれを、一種の叙事のごとく訥々と描写している。戦争のリアルなおぞましさを損なわない程度に、作者のエゴのようなものを絶妙に感じない、素敵な文体だと感じた。

 

 

戦争を体験した世代がもういなくなりつつある。僕の母方の祖父が大正15年生まれで、若年の戦争体験者だったが、10年も前になくなってしまった。ゆっくりゆっくりと戦争の記憶と事実が日本から押し出されていっている。僕らは文献を読むか、本書のような文献を基にした創作物を読んで、戦争を確かめるより他ない。

本を読んで、戦争に触って、なんの意味があるのか。

平和を願う心を養うとか、不戦を改めて誓うとか、色々あるだろう。本書を読んで改めて感じたのは、戦争とは無作為な死であり、改めて死とは何かを考えることが戦争に触れることであるということだった。

小学三年生のころ、戦争の話を祖父に聞いた。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

祖父が戦争から家に帰った時の話をして、嗚咽を漏らしながら泣いている記憶が、今も脳裏に焼き付いている。

祖父と曽祖母の親子の愛が涙させたのもそうだろうが、涙の理由は、ただひたすらの安堵だったのではなかろうか。祖父は第一線に置かれることはなく、サイパンで船が入る防空壕を掘っていたとのことだが、死の香りはきっとそこかしこを漂っていたろうし、防空壕を掘るという単純作業を繰り返す中、脳裏には何が浮かんでいたか考えると、それは故郷の光景だろうし、自らの死だったのではないか。

苛烈な体験だと思う。僕は死を身近に感じないままここまで大人になってきた。多分それは何より幸せなことで、担保されるべきものなのだろう。でも、死を感じることは無駄じゃないと思う。リアルな死ではなくとも、戦火に巻き込まれて死んでいった人の残り香を感じることで逆説的に生を考える。生をありがたく思う。

生きているからこそ嬉しく、生きているからこそ苦しい。全て、生きてこそ。


様々社会との軋轢はあれど、生きていて死の恐怖を感じたことはない。そういう人が今、日本の世の中を埋め尽くしている。

戦火の日常は、日々と当然を見つめなおさせてくれる。


文体と相まって、大変良い読書体験となりました。