徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

納豆豆腐キムチ和え

ついにこれについて述べる時が来たかと、感慨深い気持ちでいる。一人暮らしの生活を営む中、食は切っても切れない問題で、その問題解決の糸口として僕の傍に常にあったのが、納豆豆腐キムチ和えだ。

幾多の夜を、幾多の面倒臭いを、僕は納豆豆腐キムチ和えと共に乗り越えてきた。豆腐や納豆の銘柄は変わっても、めぐり合うのはいつもの味だ。まるで細胞が入れ替わっても自我は変わらない僕ら人間の代謝のように、納豆豆腐キムチ和えは変わらずに存在する。


手軽。とにかく、手軽なのだ。

食事には過程が必要である。料理の有無はもちろん、お湯を沸かすだとか、レンジでチンするだとか。また、食後にも洗い物というボスが玉座に構えている。これら瑣末な業務を華麗に無視しつつ、きちんと栄養を摂取かつ文化的な食生活を送ることが一人暮らしには求められる。

そこで納豆豆腐キムチ和えの登場となるわけだ。

まず、火を使わない。お湯も使わない。野菜も切らない。そもそも、調理をしない。

おわかりいただけるだろうが、納豆豆腐は個包装であり、キムチはプラの容器に300グラムくらいまとめて入っている。それらをただ単に和えるだけなので、道具としても工程としても最小限極まりない。必要なのは丼一つ。そこに材料を全部開け、真心込めて和えれば納豆豆腐キムチ和えは出来上がる。つまりは洗い物も丼一つだ。地球にも優しい。

さらに、味の安定感。

市販レベル、庶民が手の届きうるレベルの納豆豆腐キムチに大きな当たり外れはない。そりゃあいい豆腐は無限に美味しいが、3個パックで100円みたいな豆腐に甲乙はほぼなく、それなりに美味しい。納豆にしろ、キムチにしろ、同じ趣の食材だ。取り合わせもよく、納豆とキムチ、豆腐とキムチもそれぞれ成立しある組み合わせの上、納豆と豆腐はコナンと新一みたいなものである。コナンと新一と蘭を和えたら美味しいだろう。まぁ、そういうことだ。

そして、コスパ。

言わずもがな、一食100円しないのではなかろうか。圧倒的。


そう、僕は病める時も健やかなる時もいつだって納豆豆腐キムチ和えと一緒にいた。ついては離れ、離れたらあの味が恋しくなり、またそればかり食べた。

新年、豆豆しく働くために、本日も。