徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

墓標が呼んでいる

本日は日曜日。神が与えしお休みであるのに、早朝より起床し猛烈に支度をしている。故郷には流氷が接岸し、底抜けの寒さが降り注ぐ。東京も温さはまだ残しているもののそれなりに寒く、風は冷たい。冬が極まる朝6時から何が楽しくて行動開始しているかといえば、走るためである。

本日日産スタジアムにてマラソンフェスティバルみたいなお祭りが開催される。縁あって、僕も出場することとなった。

冬晴れの如月、気持ちのいい朝に外を走ると言えば聞こえがいいが、5時間耐久リレーマラソンなるチャーミング極まりないネーミングや、日頃の運動不足を鑑みた時、気持ちよく汗を流すはずのマラソン大会は趣向が大きく変わってくる。会場に向かう電車はすなわち僕を死線に送り出す弾頭であり、日産スタジアムは大仙陵古墳よろしく僕の墓標である。

生きて帰れる算段がまるで立たない。


そもそも、長距離走が苦手である。

僕のロングディスタンスの全盛期は小学一年生のマラソン大会だった。1キロコースを5分で走り、学年で4番か5番に入賞した。その後、何度マラソンをやってもキロ5分ペースに終始し、それから20年経ったいまはキロ5分ですら走れなくなっている。アスリートを語った時期もあったが、長い目で見れば経年劣化でしかない。

かつて、競技場に向かう車内ではギラギラとしていたものだった。風の様子、レース展開、スタートリスト。耳元からは自らを鼓舞するプレイリストが流れていた。今は違う。車内にジャージを着た人がいたところで全く気にならない。心配は我が身のみ。無事に明日を迎えられるか、無事に数時間の旅を終えられるか。ごく個人的な逡巡だけがぐるぐると巡る。耳元からはドラクエIIIのサントラが流れている。鼓舞ではなくただの回顧である。なんと矮小な人間だろう。


それでも出場を決めたモチベーションは、踊る阿呆と見る阿呆精神だ。キツそうだね…からは何も生まれない。キツい、もう動けない、身体痛い、辛い。このネガティブなカオスからこそ新しい感情が生まれる。血が巡り、乳酸が溜まり、心臓の音が脳髄でドクドク聞こえるあの境地からこそ芽生えるポジティブがある。それを残念ながら僕は経験的に知っている。

せっかく誘われたから、絶対に1人じゃ飛び込まない限界の淵にダイブしてみることと決めた。


まだまだこの動揺と煩悶を綴れるのだが、墓標が僕を呼んでいるので筆を置く。

では、埋められて参ります。