徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

宇多田ヒカルのtime well tell とColorsから見る青空について

かねがね思ってた事を書く。

平成を駆け抜けた日本人であれば誰でも知っているであろう宇多田ヒカル。20年近くになる彼女のアーティストライフの中で、僕が所有するのは2005年とかにリリースされたベストアルバムのみ。付かず離れずの宇多田ライフを享受してきた。

表題の二曲は件のベストアルバムに収録されている。

time well tell は宇多田ヒカルのデビューシングルで、確かAutomaticと両A面か何かでリリースされたもの。colorsは、time well tell より7、8年後、何かのタイアップソングとしてリリースされていたはずである。

この二曲、どちらも詩の中に青空についての言及がある。しかしそれぞれ全く捉え方が違うのが面白い。宇多田ヒカルの成長を感じられるし、全く違う方向からだけど、どちらの詩も背中を押してくれるものだ。


青空、みなさん見えてますか。

下ばかり見てないですか。


time well tell 

この曲で表される青空は、おそらくJ-POPではよく形容される青空である。

「雨だって雲の上へ飛び出せばalways blue sky」

例えばスピッツも初恋クレイジーという楽曲でこんなことを歌っている。

「優しくされない時も 優しくなれない時も 隠れた空は青いだろう 今もまだ」

雨の日も雪の日も曇りの日も、雲の向こうを考えたらいつだって空は青いよ、だから問題ない、頑張っていきましょう。そんな話。なぜ空が青かったらなんとかなる気がするのか、青い空にそもそもどんなメタファーが込められているのか、そんな細かいこと知ったこっちゃないが、明けない夜はない、長いトンネル抜けた先には雪景色か夏の海か。それらと同じような論法である。なんとなくやれそうじゃん。

しかし、この論法は雨に当たっている人に相当の努力を要する。

「雲の上へ飛び出せば」と言っている。簡単にいうが、雲の上へ飛び出すなんて並大抵のことじゃない。人間の歴史のなかで雲の上へ最初に飛び出たのはおそらく気球を発明した時だろう。次ははるか飛行機の登場まで待たねばならない。物理的にもぼくらはしばらく雲の下で生きてきた。というのに、隠喩の世界だとはいえ、雲の上へ飛び出すのってめっちゃ大変だ。というか、雲の上へ飛びだせる人は黙って飛び出してalways blue skyな世界を生き続けているパーリーピーポーだし、励まされたいのは雲の上へ飛び出す術を持たない僕ら人間だ。

当時の宇多田ヒカルの勢いが伝わってくる歌詞だし、本質的な青空を享受するにはこの方法しかないのだが、現実的解決策としては今ひとつ実現可能性に欠ける。


そこで、Colorsだ。この曲の青空は一味違う。

「青い空が見えぬなら青い傘広げて いいじゃないか キャンパスは君のもの」

どうだ。この気の楽さはどうだ。別に雨が降っていても曇っていても良いじゃないか。別に空の上に飛び出す必要もないだろう。青い傘を広げて、ごまかしながらでも生きていけるならそれで良いじゃないか。すでに君は頑張っているもの、これ以上、パンクするまで踏ん張らなくてもいいよ、仮初めの青空でも、君の気持ち、君の人生が楽なように、心のキャンパスを塗りつぶしていけば、それで。

これ、優しくないですか。一般的な日本人にはやっぱりこっちのほうが心に沁みていくんじゃないだろうか。雲突き抜けろったってなぁって、斜に構える諸君のための、宇多田ヒカルからの救済。宇多田ヒカルの成熟も見て取れる。


どう解釈しても、現実は一つだし、困ったって悩んだってどうにかするのは自分と周りの人しかいない。どんなに雨でも雪でも雲の上はたしかに青空で、そんな天空に思いを馳せられない程に苦しい時は青い傘広げればいいと思う。その時、その時で、心地のいい青空論に身を浸し、今日も頑張っていきましょう。では。