徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

報酬の有無とやりがいについて

このあいだの昼ごはんの時、同じお部屋で働いている先輩がこんな話をしていた。

集団を2群に分け、2回折り紙を折ってもらう。片方の群は報酬を与えて、もう一方は報酬を与えない。2回目を折る指示を出した時、折らなかった(折るのを面倒くさがった)人が多かったのは報酬を与えた方の群だった。

報酬についての実験の話だ。金銭に代表される報酬は、本質的に動機づけになり得ないことを示唆している。というか、報酬を与えた時点でやる気が下がるみたいな話。仕事とは…と考えさせられる。


どうあれ、間違いないのは、「それそのもの」が楽しい時に人間が出す力は凄まじい。金銭とか、承認とか、何かを介しての楽しさより、直接行為と動機が結びつく方が強くコミットできる。

仕事・サラリーマンの雇用モデルは、どうしてもお金を介するから、本質的な楽しさがそこにあるわけではない。そもそもやる気が生まれにくい土壌であると言える。

だから、入社の時に「やりがい」を訪ねる。

何に惹かれたか。当社で何がしたいか。金銭を通さない動機を持ってる人の方が辞めにくい。会社が儲からなきゃ給与なんていくらでも変動する。本当に頑張らなきゃいけない時に給与が減ってやる気が損なわれる人より、職種の名を借りた行為そのものが動機だから給与がどうなろうと踏ん張れる人の方が、会社としては嬉しい。

生きがいだけで生きていけるかといえばそうではなく、お金はどうしても必要だ。今の世の中、労働が金銭を得る最短距離でもある。しかし、そのせいで労働行為そのものへの興味は減る。のっぴきならない事情の労働は苦しい。


結局、労働はどこまでいってもやりがいと金銭の反発をはらんでいるのだろう。

目的から手段まで全てが好ましい物事なんてほとんど存在しないから、皆々が面倒くささとかストレスとかを抱えながら、やりがいを見失いながら、けど、生きるにはお金が必要だからって一生懸命働いているらしい。すごい世界。


雇う方と雇われる方でも見え方は変わるし、雇う方は雇う方でお金をぶん回す至上命題がある。お金の額に心底コミットできる人間が一番強いのかもしれない。

さて、新社会人の皆々様、頑張りましょう。

そうは言っても社会はそこそこ楽しいです。