徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

What is 大臣の資質

桜田大臣が辞任をしたと。度重なる失言の責をとっての辞任らしい。朝のテレビ、昼のテレビはここぞとばかりにここまで連なり来た失言の数々を取り上げ、各々感想を持ち出し、異口同音に大臣の資質を疑い、問う。言い間違い、知識不足、失言、思想が及ばなければ、資質不足。ダーティーなお金の流れがあればそれも資質不足。国費をなんだと思っているか。こんな人に退職金をやるのか。任命責任はどうなんだ。顔中のニキビが爆発したみたいである。

細やかな部分まで気遣いができて、いつだって正しく、豊富な知識があり、大きなお金を的確に投入して国をうまく回していく人でなければ、大臣にはならない。大臣はそうでなくてはいけない。そう思うと、適任なんてとてもじゃないけど早々見つかって堪るかと思う。神かよ。しかし日本も狭いようで広く、稼げていない国へと転落しつつありながらも先進国として構えているため、優秀な人材を優秀な人材として登用する仕組みがあるので、スーパーマンたちがそつなくやっている部署もある。だからこそ、桜田大臣のこの度が叱責の的となっている。


晒しに晒され、国会答弁はしどろもどろになり、自責もしただろう。公開の渦の中でも次々仕事は降ってきて、喋らねばならず、知識も追いつかず、ひとまず読み、しかし漢字が難しく、また叱責、自責、謝罪、ようやく地方の応援に出て、気が休まり、饒舌に話したと思ったらまた失言、失言。

辛いなあと思う。辛い。槍玉として突き刺しまくっている人は、全くもってこの苦しみを察しないのだろうか。それとも、察した上で、大臣としてやらなきゃいけないこととして、厳しく追及しているのだろうか。市井の人が行政の人を追求する機能はあるべきだと思うけれど、屍に等しい人をさらに屠るのはどうなんだ。その程度のアゲンストで音を上げてるようでは務まらないのかもしれない。ワンチャンスをものにできず、ドベドベと失態を重ねるのがいけないのか。その手厳しさはなんなんだ、自分はその矛先は向かないのか、向いていたとしたらどれだけストイックなんだ。


ポストトゥルースと呼ばれて久しい。世論の本当のところがわからない世の中である。みんな僕と同じようなことを考えているかもしれないし、本当に桜田大臣に憤りまくっているのかもしれない。わからない。だからこそ、受動的な聴き手が多いメディアと、能動的な聴き手が多い個人やソーシャルメディアの声がひたすら大きくなる。いつ自分に矛先が向くかもわからないのに。その恐怖に慄いてるやつなんてお呼びじゃないのだろう。そうだとわかっていても、強く当たれない。その自信がない。

笑うは易い。貶すも易いが、自分はどうか。責も立場も全く違う人間の何を問うことができるか。


少なくとも僕はできないと思う。という話でした。