徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

わかりやすい敵意

今の今、目の前で小太りのおじちゃんと小太りのお兄さんがぶつかった。お兄ちゃんはよろけて、おじさんはスタスタと歩みを進めた。お兄ちゃんはイライラしたのだろう、振り返りざま追っかけて右足一閃。おじちゃんのリュックを蹴り上げた。おじちゃんはびっくりして後ろを振り返るも、スタスタとやはり立ち去った。お兄ちゃんも怒りが収まったのかわからないが、会社に向かったようであった。あのお兄ちゃんのわかりやすい敵意に燃えた顔はひどく醜くかった。


見ているこちらとしては、ただただ、衝撃的である。まず、怒りの感情と、動作のタイムラグの少なさがすごい。レイテンシーがほぼゼロだ。思い立ったが吉日を体現している。吉日とは…?人のリュックを蹴り上げてまでの吉日とは…?また、自らを顧みることもないらしい。僕も結構カットインしながら歩いちゃったからさ…ごめんよ…みたいな譲り合いの心が見受けられない。オマエが悪いんだーっ!って右足一閃である。さらに、怒りのキャパの少なさ。2006年のW杯決勝、ジダンがマテラッツィに頭突きをした。もう、13年前の話ですか。時の流れとは。あれもキャパが少ないなと傍目からは感じたものだが、W杯決勝の延長、アドレナリンの洪水の中で、お母さんを侮蔑される言葉をキャンキャン言われたらそりゃ頭にも来る。納得である。しかし今朝は出勤時である。10連休明けの憂鬱がそんなに心のキャパを埋め尽くしていたか。理解できなくもないがやっぱり理解できない。そして、後先の考えなさである。僕がよく行く下町の銭湯には、全身にお絵描きがされているおじちゃんが度々やってくる。何でもなく入浴して帰る。万が一、そうした筋の方だったりみたいなことを考えないのか。すてみタックルにも程があろう。反動で大ダメージ食らうぞ。


一人っ子でぬくぬく育ってしまったからか、僕自身、人に敵意を剥き出しにするのがひどく苦手だ。自分がさっさと折れてしまう。容易い生き方を学んで育ってきてしまった。だからこそ、人の敵意をまざまざと見せつけられると、大変に困惑するし、悲しい気持ちになる。

今の会社にも、ちゃんとした人が多い。情操を育み、感情のコントロールができる人が働いている。余計に、免疫がなくなる。


書かないと心が荒みそうだったので書きました。

お兄ちゃんも、おじちゃんも、朝はお互いに嫌な思いをしたでしょうが、いい連休明けになるといいですね。僕も、朝少し苦しい気持ちになりましたが、いい一日になるといいなと思います。

幸あれ。